ずっと死んだ母に甘えていた。
自分の人生が上手くいかないことの原因は母の責任だと思っていた。
何を言っても「気のせい」呼ばわりして、いじめも苦しみも真っ直ぐ受け止めてもらえず。相談には乗ってくれなかった。
まぁ、間違いなく母は俺にとって毒だった。
そんな母ももう死んで10年になる。
あの母がいなければ、もっとこちらの話を信じてもらえれば。
そう思ってずっと呪ってきた。呪えば呪うほど、思い出された陰惨な思い出がよみがえり襲い掛かってきた。そのたびに呪う気持ちが強くなった。
その繰り返しが10年近く続いていたのだ。俺は朝起きてから夜に眠るまで母親を呪い続けていたといっても言い過ぎではない。唯一、人と話しているときだけが、母のことを思い出さない良い、救いの時間だったが。
しかし、母のことを思いださないようにして少し時間がたってから、思うことがある。ああ、死んだ母に甘えていたのだなぁと。
死人に口なしとはよく言うけど、もう死んでいる母をいくら呪っても何も返ってこない。ただひたすらに呪えば呪うほど俺が苦しいばかりだった。よく考えれば、俺を苦しめていたのは母ではなく、俺が作り出した環境だったんだよね。そこから、助けてほしいというヘルプメッセージを出したんだけど、それを母が受け止めてくれなかったことを恨んでいたんだ。
もう口がきけない母親、直接の原因でない母親に、呪詛を籠めて思い出をぶつけることで俺は甘えていたんだ。愚かだなぁ。確かに、母親には落ち度があったが、それ以上に、自分が力不足だったことを俺は認めていなかった。
そんな事実だったのに、何もかもを母親のせいにして、甘えていたんだ。そんなことに今更気が付いた。原因は自分の方にあったのに。
「疲れたやろ?
十分、頑張ったもんな。
もう、ええんやで。」
この言葉はとある劇中のセリフだ。不思議な作品で誰に向けた言葉かよくわからないが。俺はこの言葉に救われた。
俺はもう憎むのに疲れていた。
それを抱えながら頑張って生きていた。
それを「もういい」といってもらえたみたいですごく救われたんだ。
この言葉を思い返すようになってからは、なんだか肩の荷がおりたように心が軽くなった。
「疲れたやろ?」
母を憎むことにもう疲れた。
「十分、頑張ったもんな。」
この思いを背負いこみながら頑張った
「もう、ええんやで。」
そっか…、もう、いいんだ。
もう、よかったんだ。
救われた。
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