「チャットGPT」に校閲者は駆逐されるのか?

【注:この記事は、アメブロへ2023年4月25日に投稿した記事を、筆者本人が内容を変えずに移植したものです。】

皆様こんにちは。


週刊誌勤務は、今日から一足早くゴールデンウィーク休みとなりました。

全員強制的に8連休となるのですが、本当にありがたいですね(あとは自由にもっと休めれば良いのですが笑)。長いお休みはお正月以来なので、さて何をしようかと少しワクワクします。GWは例年、家族で帰省も旅行もなく家や近所で過ごしているので、まあ、映画を観るとか、カラオケの研究とか、そういう類のことになりそうですが…。


さて今週、仕事上でチャットGPTについて少し調べる機会があったのですが、その関係で初めて、チャットGPTを実際に自分でも使ってみました。割と遅いかもですが…。

結論から言いますと、まだ使ったことがない方は、是非試してほしいです。思った以上に面白い。簡単にアカウントを作って、自由にチャットで質問できます。

何より、レスポンスが速いのが面白いですね。例えば「泣ける小説を教えてください」とか「千葉県船橋市は住みやすいですか?」「東京から北海道への移動手段を色々教えてください」、あとは、「100年後の日本はどうなってますか?」みたいな、人間では流暢に答えられない場合もありそうな質問に、「定型的に」「優等生的に」答えてくれるのが意外とクセになるというか、暇つぶしの話し相手としてはSiriの比ではないなというところでした。ズバッと100%疑問を解決できるわけではないけど、ある程度まともな答えは返ってくるので、会話として純粋に割と楽しい。巷間よく言われるように「アイデア出し」にはもってこいだし、これってもしかすると孤独感の軽減とか、社会問題の解決にもなりそうですよね。


で、本題に入りますが、チャットGPTは校正・校閲にも使える! という話をちらっと目にしたので、さてその実力やいかに? というところを、一応、私はプロですので…、プロ目線からジャッジしてみたいなと。


このトピックは非常に重要なので、今回だけでなくまた何度もこのブログに書いていこうかな、と思っていますし、たぶんあと5年、10年くらいするとAIの進化が更にすごいことになっていて、その校閲技能も人間を凌駕するレベルになりかねない。その動向はしっかり追っていきたいところです。


それでは、考察していきます。


まず、以下のような文章をチャットGPT様に校閲していただきました。(注・ここでは、無料で利用できるChatGPTを使っています。有料の最新版は試していません。私はボランティアでそこまでするつもりもないので、誰か試してください笑)






それで、GPT様のご回答はこちら。





まず、ちゃんと校正されていた部分について挙げますと、2行目の「箱根駅伝か」の「か」はきちんと「が」に直ってますし、「知り会い」は「知り合い」となりました。「もののの」と「の」が1つ多いのも直ってますね。末尾の「あつた。」も「あった」になりました。そしてこのような回答が、ものの十数秒で出てくるからすごい。

また、この回答は割とオーソドックスでしたが、GPT様の面白いところは、同じ質問を繰り返すと微妙に違う答えが返ってくるところで、2回目は下のような感じに。





「より自然な日本語」に直して下さったということで、たとえば「いそいそと」は日本語としての使用頻度が低いと判断されたのか、「わくわくしながら」に書き換えられました。


しかし。GPT様が拾ってくれなかった、でも校閲として指摘すべき、そんな箇所がいくつかありました。

お分かりになりましたでしょうか?

クイズのように読んでいる方もいらっしゃるかもしれませんので、ここから何十行かあけます。スクロールしてご覧ください。




































というわけで解答編。

まず「元旦の朝」というのはいわゆる重複表現で、「元旦」に「朝」の意が含まれるので、よほどの拘りがない限りは、「元旦」もしくは「元日の朝」とするのがベターです。

さらに、もっと大事なこととして、「箱根駅伝」は1月1日ではなく、例年1月2日と3日に行われます。国民的行事かと思いますが、AI様には全く指摘されませんでした。

また、これはマストではありませんが「見る」「観る」の書き分けについても特に触れられず。「私は」が2連続しているところは、直してくれたりスルーだったり。

そしてもう一つ、「いそいそと」という表現についてですが、「喜んで」という意味ですので、そのあとの「しぶしぶ」という箇所とそぐわなくなってしまいます。どちらかの表現を変える必要があると思いますが、これは2回ともスルー。GPT修正後の文章ではこの点、前後が矛盾してしまっていることがわかります。


…と、このような感じで、チャットGPT様は「単純誤植」には強かったのですが、もう一歩先の、叙述関係(いそいそと⇄しぶしぶ)や事実関係(箱根駅伝は元旦には行われていない)については「今のところ」ほぼスルー、という結果に。あくまで「今のところ」です。

上記の文章に関しては、他の校正支援ツールの方が、もしかしたら誤植・誤用をより多く拾ってくれるかもしれませんね。


で、一応、今回の文章を校閲者(である私)が校閲したら?というのを、汚い字と写真ですが載せておきます。青ペンで書いているのは見やすさのためです。「☆」をつけたのはチャットGPTには指摘されなかったポイントです。





他にも、チャットGPTは事実関係の確認にはまだまだ使えないというのが下の例。銀座線は日比谷線や半蔵門線と直通運転しておらず、田園都市線と直通しているのは副都心線ではなく半蔵門線です。堂々と間違っているのが清々しくもありますが、こういうのも10年後は笑い話でしょうか(自動車電話とスマホの違いみたく…)




しかし、報道でも見かけましたが、チャットGPTはとにかく差別表現に強い。下の例をご覧ください。






2つめの「日本人のくせに頭が良いなあ」という文章は、弊社の元部長・井上さんの講座テキストを勝手に拝借させていただいたのですが、「差別語が入っていない差別表現」です。こうした表現でも漏れなく指摘してくれるのは、チャットGPTの優れた点と言えるでしょう。




それで、話を進めまして、「チャットGPTは校閲者になれるか?」という話についてなのですが。


これも「今のところ」は、チャットGPT様単体で本や雑誌を完璧に校閲するところまでは難しい。確かに、先ほど検証したように単純誤植には強く、見つけるスピードは人間より遥かに速いです。ただ別の例でも試しましたが、同音意義語とか、校閲者的にあるあるなミスは今のところあんまり拾ってくれないんですよね。

よって、校閲者の「サポート」、負担軽減としては、使えなくもないかなというところです。あったら便利だけどなくてもまったく問題なし、というくらい。

さらに現状としては、チャットGPTを実際の校閲業務に利用することは事実上、できません。なぜなら、世に出る前のお原稿を、チャットGPTにかけることは道義的に許されないからです。

ちょっと考えれば分かると思いますが、有名な作家さんの大切な入稿原稿が、ネット上に流出してしまう危険性がありますよね。出版社としての責任問題になります(もちろん上に書いた「箱根駅伝」の文章は私がテキトーに書いたオリジナルの文章です)。自分で書いたものをチャットGPTに校閲してもらうのは別に自由ですけど、出版社がそれをやってはいけませんよね。

だから私が所属している新潮社も(社名を出すな)、早くチャットGPTの使い方について見解を出すべきだと思いますけどね。編集者が良かれと思ってチャットGPTで体裁を整えてから入稿する、みたいなバカみたいな事象が絶対に起こらないとも限りませんから。記者原稿、編集者原稿において、こっそりチャットGPTを使っている人も既にいないとも言い切れない。

それだけ国民的な、そして世界的な関心ごとになってますし、このツールはアクセシビリティに優れまくっているので。野放しは危険すぎると思います。



それで、ちょっと話を戻して、校閲とチャットGPTの関係性ですが。

将来的に、校閲者の補助的役割としてAIが普及していくことは確実でしょう。その方が安くて速いのですから。というか、既に自費出版部門などでそれに近いツールを導入している出版社もあるとのこと。

しかし、校閲の業務、というか編集の業務というのは、ただ誤字脱字を見つければいい、読めばいい、というものではないので、仮にAIが「箱根駅伝は元日には行われていません!」と指摘してくれるようになったとしても、AIだけでちゃんとした本が作れるというのはまだまだ有り得ないでしょう。

書籍や雑誌というのは、たとえば車を作るのがロボットだけで完結して点検も人間なしで終わり、ということがいつまでも不可能なのと同じで、体裁とか、仕様とか、あとテクニカルな面で言うと書き文字の赤字がきちんと次の校で直ってるかとか、行数調整とか、目次とか、装丁とか、色々なファクターがあり、全部を機械化するのはどう考えてもまだまだ無理。

ただ先ほども書いたように、この仕事の一部はAIで代替可能になるでしょうし、近いうちにそれが一気に進む可能性も高い。

他の業種でも似たようなところがあると思いますが、人間がAIの伴走者というか管理者、使用者として存在していなければモノとして完成しない。それは、たぶん100年経っても一緒です。ドラえもんだけでは世の中が成立しない。のび太がいないと。AIだけで完成可能な商品もあるかもしれないけど、出版物というのはわりと複雑な商品なので、そこまではなかなか難しいかな、というのが私の考えです。

生成AI分野の進化はすさまじく、イラストレーターさんや声優さんの数が減るのではないかとも言われていますよね。

AIだけで作ったマンガ、とかは既にあるそうですし、AIだけで作った小説なども多分そのうちどんどん刊行されていくでしょうが、どちらにしても「中身を人間が全く見ないまま刊行」は商業出版として出すのは普通に考えて難しいでしょう。

しかし、2人で校閲していたものを1人校閲+チャットGPTのチェックで済ませて世に送り出す、というのは充分にあり得ますよね。ただここでもセキュリティの問題が立ちはだかってくるわけですが…。


では、校閲者は今後、どうすべきなのか。

AIにより校閲者の総数はもしかしたらこの先、減っていくかもしれません。というか、市場の縮小と共に既に減ってきているはずですから、その流れが更に加速する。

でも校閲者という仕事自体がゼロになることはないでしょう。「最後の校閲者」として残ることができるよう、校閲者は日々、スキルを磨くしかないのです。そしてAIにも詳しくなっていくべきでしょう。

チャットGPTに堅固なセキュリティ機能が備わって、校閲能力も今より格段に向上してきたら…?

 校閲者としては、自らの仕事が代替されるという意味で生成AIは大きな脅威となります。そしてその過程は既に始まっている。しかし、人間の手を完全に離れた出版活動は難しい。だから「最後の校閲者」とAIが手を取り合って頑張っていくのが理想であり、最適解なのです。


…ここまでの話で、「そうじゃない!」という方がいらっしゃれば、是非ご連絡いただければ幸いです。私も今回、初めてチャットGPTを使ってみたくらいですから、かなり疎い方です。


週刊誌勤務でなければ、もっと勉強して、「AIと校閲の関係」だけで講座というかトークイベントとかできそうですが…。まあ、いろんな人が考えてそうなことなので、その方々にお任せします。


ではでは、また!

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