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Radiotalkをはじめてみた

どうも、まさまさです。

Radiotalkをはじめてみた!
っていう話をしようとおもう。

きっかけは、毎度のおなじみコルクラボ。
まほぴが「はじめてみよう」って言っているのを見て、それに続いてとっちーが始めているのを見て、3番目に始めた。

どうして始めたんだろうか…。
勢いで始めたものの、すでに24回ほど投稿している(えらくない!?)

今回は

1:どうして始めようと思った?
2:始めてみて気づいたことって何かある?

ってことを書こうと思う。

1:どうして始めようと思った?

簡単にいうと、勢いです…w
定職についてない私は、誰に管理されている訳でもなく、縛られていることもない。何を話しても自由なのである。
Radiotalkを始めるにあたっての聖なる一歩を踏み出す心理的ハードルが全然なかった。

noteのように文章で書くのに比べて、話すアウトプットの方が簡単なように感じていた。文章にするのってなかなかエネルギーのいる行為だと思う。

あとは、コルクラボでpodcast部というのをやっている中で、自分の声で番組・ラジオをやってみたいなぁっていう気持ちは以前から小さく持っていた。

2:始めてみて気づいたことって何かある?

①勝手にがんじがらめになっていた。
上記にも書いたが、勝手に管理されていると感じ、勝手に縛られていた自分に気づけた…これは一番の収穫だった。
組織に属していたって、個人で発信していいのだ。
別に、所属している組織をdisっているわけじゃないし…。
これはニートになって気づいたことでもあるけれど、過度に縛られていると勝手に感じてしまい体がすごくすごく重たかった。
今はデブだから体は重いが、心理的な重たさは全然ない。「まぁやってみようよ」って良く言えるようになった自分にきづく。

1度話してみるといいと思うが、なんだかどんどん話して配信したくなる。
不思議だ。なぜどんどん話して配信したくなるか?
それは、コルクラボというコミュニティの中で起きている行動だからだ。
聴いてくれている人は、一人でもいる。
そして「聴いているよ」ってオンライン上(掲示板やSlack)で伝えてくれる安心感が大きい。

感じる力・感度が高まる気がしている。
僕は、まさまさの聖なる一歩ラジオという番組名でやっている。

聖なる一歩とは、新しいことや、はじめてやること、知らない人に会うなど、少し不安や恐怖を抱えながらも一歩踏み出す、行為のことをいいます。

と説明している。
その聖なる一歩を日常の中に探すようになるし、人の聖なる一歩にも敏感になる。そう、聖なる一歩マニアになっていくのだ。続けているとわかる、聖なる一歩が好きである自分に…。踏み出そうとしている人の後押しをしている自分が好きであることに…。

最後に、嬉しい出来事があったよ!

Twitterで絡ませてもらった方が、グラレポしてくれたのだ…。

めっちゃかわいい書いてくれて嬉しい!
ちなみに、聖なる一歩ラジオの画像も、大好きな人が書いてくれたんだよ!
エジプトに行ったときの写真を素材にかいてくれた。

よかったら、僕のラジオ聴いてね!

おわり。

サポートありがとうございます。 あなたのそのお気持ちのおかげでnoteを続けてこれました。 去年は1年で120本…みなさんのおかげです。これからも誰かに届く文章をかいていきたいです。