「書く習慣」 だれのために書く?
note主催の4/11いしかわゆき さんの書く習慣に関するライブ講義を視聴しました。
講義の感想を一言でいうと、書くためのハードルを下げて気軽に書いてみよう!です。
私はnoteを書くときに、少しでも読んでもらった人のためになるような、あわよくば、読んだ人から小さな称賛でも貰えればうれしいな、と読み手である他者を強く意識していました。
そして、こんなくだらないこと書いてもなぁとか、少しでも読まれるようにはどうしたらいいのかと、書くハードルを知らず知らずに上げていました。
しかし、いしかわさんの講義の中で、
だれのためにかくの?まずは自分でしょ?
と言われ、頭の中でガーンと鳴った。
そうだ!! 自分軸で書きたいことを、書いていいんだ!
心の動きを残し、振り返る自分のための自省記録。自分の内なる声を言語化する訓練帳。noteをそんなとらえ方にすることで、書く心のハードルがググッと下がる気がしました。
とは言え、やっぱり読まれなかった時の疑心暗鬼を緩和するため、そんなときに役立ちそうな、講義中のいしかわさんの背中押しも書いておきます。
・自意識過剰
->あなたの文章はそんなにみられていない(事実)
・文才という概念
->文才は書かない言い訳。文才ははじめから持っているものではない(書いて書いて、読んで読んで身につくもの)。
・ちゃんと書こうという意識
->完璧な文章なんてない。
ここで、村上春樹の長編処女作「風の歌を聴け」の冒頭の文章、
「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」
を思い出した。偉大な作家も初めて書くときは、冒頭で自分に対し、ハードルを下げる言葉をかけたのかなという視点でとらえると、勇気をもらえた。
完璧な文章なんて幻で、自分の心をが動いたことを、自分の言葉で綴っていく。それを繰り返していくことで、書く習慣を身につけたいと感じた夜でした。
では会社に行ってきます!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?