刹那的かもしれないけど、自分がいなくてもいい状態を考えている #思考のクセ
書籍”思考のクセづけ”を読んでから自分の思考のクセについて考えみた。結論から言うと本記事のタイトルどおり、自分がいなくてもいい状態を考えるクセがある。なので、何かがスタートしても終わりを考えている。それはプライベートもビジネスも。
プライベートでいうと、昔から恋人には専業主婦になることを望まないという話をしている。人間って、明日いなくなる可能性ってゼロじゃないよねという話をしたりして。なので、専業主婦希望の人とは付き合った事がないと思う。ただ、ほんとは望んでいた人がいたのかもしれないけど。
ビジネスでも同じで、自分がいなくても成り立つ状態をつくりたいと考える。自分がある程度能力を持っていることは前提ではあるけど、どんどんチームの人を前に立たせる、本人が嫌と言わない限りは。もちろん、立たせて上手く行かなかった時の責任は負うつもりでいる。ギリギリまで任せて我慢する。
プライベートでもビジネスでもそんなクセがある。その思考のクセの出どころを考えてみると、素敵な人から教えてもらった言葉の「明日死ぬかのように生きよ。 永遠に生きるかのように学べ。」が起因しているのかも。一見、矛盾した言葉かもしれないけど、その言葉はストイックで好きで、その言葉に対して折り合いをつけようということが根付いている気もする。または、10代で遭遇した親戚の死なのか、20代で遭遇した友達の死なのか、死を見つめる場面が影響を与えている気もする。
などなど考えてみると、おそらく1つ要因ではなく、複数の経験が相まって自分がいなくても成り立つ状態を考えるように至った気がする。このクセはちょっと考えただけでは源泉を探れてない気もするので、また時間をおいて考えてみたい。みなさん、思考のクセってありますか?
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