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ぼくが感じた独り立ちの瞬間

GW前に独り立ちについて話を聞きたいと新人さんに言われたのでメモ(雑記)として考えてみたお話。

人生で初めて独り立ちを実感したのは、実家を離れて東京で一人暮らしを始めた時でした。自分で家を借りて、水道光熱費や食費などの全ての費用を自分で支払うという初めての体験をした時。社会人初の4月。

次に独り立ちを感じたのは仕事。
新卒で入社した企業で、オーダーメードのソリューションサービスを、自分で設計し組みて分析し、お客さんに自分で報告した後、「ありがとう」をお客さんから言われた時。先輩方の色々なサポートはあった思うが、、、自分で全部をできたと誇らしかった。

でも、後から考えるとこの経験は部分的な独り立ちだと考えるようになる。仕事の幅が広がり、自分でテレアポをし訪問機会を得て提案、受注、サービス提供、納品までをひとりでこなした。こっちのほうがより独り立ちを感じた。

その後、転職して1年間働いた会社では、さまざまなことがあり、独り立ちを最後まで実感することはできなかった。おそらく指示通りでしか仕事ができなかったからだと思う。

その次はマーケティングの会社で、効果測定のコンサルや、広告計画や実行かできるようになって、自分が中心となりお客さんに対面している状況に独り立ちを感じた。ただ、その後、提案や戦略業務を自分が中心となって取り組めるようにった。仕事をつくるところから提供まで実行可能な状態になり、独り立ちをより感じた気がする。

そしていまの仕事では計画・提案から実行まで実施している業務については独り立ちしている感覚があるような気がする。

いずれも“気がする”という枕詞がつく。他の人から独り立ちしたなということは言われたことがなく、あくまで主観的な感覚なのである

独り立ちは何回もするもので、独り立ちは人それぞれ形があるのではないかと思う。何かを深く極める独り立ちもの場合もあるし、何かを広く極める独り立ちの場合もある。

その独り立ちは何かを完璧にできることなのか?
違うのではないかと思う。

独り立ちを調べてみると、「他の助力なしに、自分だけの力でやってゆくこと」と書いてある。でも、少なからず自分だけの力で出来る仕事なんてほとんどないのではないか。

個人的に定義すると独り立ちは「責任感をもってある程度のスピードで物事を進められている状態」なのではないかと思う。他の助力を受けながらでも。

もう少し具体的にすると「指示がなくても、自分で事の本質を探り、解決すべき事の問をつくり計画し、前後しながらも進められてること」なのではないかと思う。

それは質問に表れ

独り立ちできない人 :「これどうしたらいいですか?」

独り立ちできる人:「こういう理由で自分はこう思っているんですが、どう思いますか?」

独り立ちしそうな人は、後者の質問または、こういう理由があり自分はこれで進めたいと思うのですがいいですか?という言葉になっていってるのではと思うんです。

独り立ちって、シンプルにいうと指示がない、またはアバウトでも動ける状態なのかも。

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