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父の帰宅 35

「ほんとにそう思ってる」

「思ってるよ、思ってるよ。マサは死ぬなんてもったいないよ。ほんとにわたしだけじゃないよ、みんなにとって、この世にとってマサの存在を失うことが損失なんだよ、ほんとだよ」

「俺が精神的に、肉体的にくたばりかけたら、アサコ、ペンサコから帰ってきてくれる?」

「帰るわよ、必要なんだったよ今からでもチケット手配するよ。マサの命より大事なものなんてないわよ」

「ほんとに?」

「ほんとだよ、今から関空に行こうか」

「分かった。アサコのために死なない」

わたしは絶対にマサを死なせたくなかったので、マサのこの言葉で本当に、こっちが死ぬほど安心した。

「ごめん、すげー負担かけたね。もう大丈夫だから……」

「よかった」

「でもさ、俺しばらく引きこもると思う。もう何もしたくない」

「いいよそんなこと。どんどん引きこもりな。引きこもるくらいの権利をマサは持ってるよ。死ぬ以外だったら何してもいいよ」

「もしだめそうだったら、アサコ、俺んちまで来てくれる?」

「行くよ、本気だよ」

「今飛行機乗れないけど、アサコとだったら乗れるかも。そんときはペンサコで一緒に暮らしてくれる?」

「いいよ、一緒に暮らそう。わたしもその方が楽しいし」

「うん、レオには了解とっておいてね」

「とるとる、ほんとにいつでも来てもいいし、いつでもマサが必要なら帰国するから」

「ありがとう、アサコのこと愛してる」

「わたしも愛してるよ」

マサを何とか踏みとどまらせるに丸四時間かかった。しかし次の日またマサは泣きじゃくりながらわたしに電話をしてきた。また自殺のことだろうか。わたしは狼狽えた。

「どうしたのマサ?」

「あいつサイコだよ」

マサが母親に向かってわめき散らしてる。

「絶対に俺の部屋に入ってくるんじゃねー、今の俺に近づくな」

「どうしたの、マサ」

「最悪だよ、俺さ昨日のこともあってカウンセリング優先させようと思って、今母親がさ、俺の教育ローンと奨学金払ってるのね。それを納期延長してその分をカウンセリング代にまわしてくれっていったの。そしたら今のあんたは明らかにおかしいって。そんな不安定になってて、あの病院行くようになって余計に不安定になってるじゃないのかって。この期に及んで、橋本クリニックをカルト教扱いだよ。それでさ、そんな有名な先生がなんでこんな田舎で病院してるんだって。そんなもん知るかよ。先生には先生の考えがあんだよ。それで俺がヒサコと別れたことも気に食わないらしい。仲良かったからね、ヒサコと母親。ヒサコと自分から別れるようなことをするのは明らかにおかしいって。ヒサコは今までどおりちゃんとした人間なんだよ。ただ俺はヒサコのストレスをこれ以上テイクできないから別れたんだよ。それがあいつには分かんないんだよ」マサはまくし立てた。

「俺一人この家の、このクサった家系の問題に俺一人立ち向かってんだよ。みんなあっさり逃げていきやがった。親戚中逃げてやがんの。俺一人だよ。裕美は勝手に自分の感情でヒステリー起こす。あいつも自分がこの家庭環境で傷ついてるの分かってるのに自分は強いって思い込ませて、否認してんだよ。あいつだってPTSDだよ。美穂は俺がパニックになったとき薬は絶対飲むなっていいやがんの。どのくらいパニック発作がきついか、どのくらいの恐怖か一回味わえばいんだよ。そしたら絶対死んでも弟にそんな言葉いえないよ。俺だけなんだよ、戦ってるのは。それを頭がおかしいで片付けやがる。お前らの方がよっぽど頭おかしんだよ。それで俺の経済力の無さを棚に上げて俺一人弱いものにして安心してんだよ。怖いんだよ、俺が、一人で立ち向かってる俺が。俺一人弱虫にしてりゃ、あいつらも安心するんだろうな、アサコ、どっちがまともか分かってくれてるだろ」

「あたりまえじゃない、どう考えたってマサの家、普通じゃないよ。ほんとによくここまでちゃんとまともに育ったね」

「もう俺我慢の限界。あいつが同じ家に居るってだけでとんでもないフラッシュバック起こしてる。もう薬何錠飲んでるかわかんねー。このままこの家いたら、俺自殺しなくても死んでしまう、もう限界、家出る」

「そうだよ、ずっといおうと思ってただけど、とっとと出な。そんなところにいつまでも留まってたらほんとに潰れちゃうよ。マサはさ、マサのその実行力だけでここまで生きて抜いてきたんでしょ。今ここでそんなところにいて死んじゃったら意味ないよ」

「うん、出る、今決めた。今週中に出る。もうあいつらに巻き込まれるのはごめんだ。俺は俺の幸せを追及する」

「そうだよ、マサはね、絶対に幸せになれるよ。それだけの生き方してるから」

「うん、俺もそう思う、とっととおさらばするよ、この家系とは」

***

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