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パニック発作 01

帰国後マサは後期のテストと就職活動に奔走していた。やはり休学なしに強引にアメリカへ留学したことが影響して一八単位を四年生に持ち越してしまった。

就職活動では営業職で内定をもらっていたようだが、どうしてもそのまま会社員になることに納得できず、内定を辞退し就職活動を止めて、残った卒業単位のために全力を注いだ。

だがマサの本当の闘いは、二〇〇〇年一〇月二三日に訪れた。

この日マサは今まで経験したことのない強烈なパニック発作に襲われた。アメリカで起こした発作に関して気にはしていたがそれ以来パニック発作が起きなかったのでだんだんと意識しなくなっていた。

しかしこの日に起こった発作は到底無視できるよなレベルではなかった。マサはこの日のことを以下のように綴っている。

その日も特に普段と変わることのない日だった。朝七時に起き朝食を済ませ二限目の金融論と三限目の統計学概論を受けるために大学へ向かった。

僕は大学四年生だがまだ一八単位を残していたので週三回は授業に出ていた。周りの生徒はみんなすでに卒業に必要な単位は取っており、就職活動をまだ続ける者、旅行に行く者など、少なくとも大学に来る人間はいなかったので誰かにノートを借りるわけにもいかないし奨学生の僕にとって留年という選択肢はない。どんなことがあっても今年度に卒業しないといけない。今は往復五時間かけて電車で実家から大学まで通っている。

実家から大阪までまず一時間十分の急行に乗らないといけない。電車の暇つぶしには読書に限る。この日は村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル 第1部 泥棒かささぎ編』を読んでいた。

朝からなんとなく動悸がしていたが、普段から脈が飛ぶことはよくあったので、それほど気に留めていなかった。だが村上春樹の描く「フィジカルの痛み」というものは、自身の心身の状態を考慮して読まなければならないとこのとき改めて思った。

ノモンハン事変を扱った、「間宮中尉の長い話」という章で、ロシア人将校が日本兵と思われる山本という男の皮膚を生きたままナイフで剥いでいき拷問するシーンがあるのだが、今の体調にはふさわしくない描写だった。

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