第1章 ヨウとおジィ 昔ばなし 10
経の文句の間に、数字を刻む。数え歌のように、数字を刻む。遊底を起こし、装填し、引き金を絞り、ひとつ。再び遊底を起こし、装填し……、ふたつ。その間に、英兵が二人倒れる。みっつ、三人倒れる。鉄製のヘルメットを弾丸が貫通する。
射程一キロ以内ならば、頭部だけに狙いをつける。腹ならば、勇敢な兵士は反撃をしてくる。死に損ないの流れ弾で仲間を傷つけさせるわけにはいかない。よっつ、いつつ。五発の装填が可能な九九式ならば、五人が立て続けに、即死する。速射砲が止まった大砲に畳み掛けるが、分厚い装甲を貫けない。決定的な戦力の差だ。
空腹の中、忍耐ひとつで待ち伏せを続け、勇猛果敢に戦車隊に挑む。ここまで生き残った我が兵はみな精鋭ぞろいで、胆力も並ではない。ビルマで圧倒した英国兵に我が皇軍は、何ひとつ劣るものはない。しかし英国兵の物量が桁違いに増えていた。戦車相手に、一騎当千とはいかぬもの。M3の砲身がぐるっと角度を変えた。
砲先がこちらを向いた。居場所がばれれば、狙撃兵はそれで終わりだ。日野上等兵、来るぞ。退散する時間はとうていなかった。一キロも離れると、音と目で見る映像に時差が生まれる。無音のまま小さく砲先に炎があがり、続いて、耳を劈つんざく破裂音と衝撃が身体を襲う。このコンマ何秒かの時差の恐怖に慣れることはない。
頭が地面にめり込むくらいに、伏せることしかできない。強烈な轟音で何がなんだか分らなかった。肢体に力が入ることを確認した。直撃はしていない。戦車砲は外れた。日野っ、いくぞ。耳鳴りで自分がどのくらいの声を出しているのかまったく分らない。
平衡感覚が滅茶苦茶だ。自分が立っているのがかろうじて判断できる程度だ。しかし、二発目が来る前に、あらゆる力を総動員して、この場所から一メートルでも遠く離れなくてはならない。日野上等兵と眼が合った。日野上等兵は小さく首を振った。砲弾の破片か、砕かれた森林の木片か、見当はつきかねたが、軍装の上から日野上等兵の右太ももを裂いていた。
筋が切断されて、左脚だけが妙な方向に力なくだらりと向いていた。駄目だな。瞬間そう思ったが、わたしは日野上等兵の軍装の奥襟を掴んだ。柔道家ならば慣れているだろう。
この糞切迫した状態で、そんなことが頭に浮かんだ。そしてわたしは日野上等兵を引きずって、とにかく走った。火事場の糞力とはよくいったものだ。日野上等兵の巨体を引きずりながら、不思議とその重さがそれほど気にならなかった。
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