高校3年間クラスに馴染めなかった

僕は高校3年間クラスに馴染めず卒業した。
クラスに一人は居る、「いつも机で寝ていて無口で何考えてるか分からないやつ」が僕だった。

クラスに馴染むチャンスが無いわけではなかった。
例えば入学してすぐ、イベントの概要は忘れたけど、男女入り乱れたグループで買い出しや設営をする、みたいなイベントがあった。
僕はそこで自然と仲良くなっていくものだと思っていた。
結果、僕はほとんど話せず、顔が整った運動部とクラスの可愛い子たちが仲を深めていくのを眺めるだけだった。
今思えば、そこで初めて仲良くなるとかではなく、そもそも仲良い人達が仲を深める場だったんじゃないだろうか。
僕は何故みんなが自然とすぐに仲良くなっているのか分からず、置いて行かれていた。

その後も、前後の席で少し会話をするようになった女子がいた時もあったが、クラス替えをしても話すというほど親しくはなかった。
部活では話す人はいたが、クラス替えで部活仲間もいなくなると、僕はクラスで誰一人話せる人がいなくなった。

当然、体育のペアでは誰とも組めないから、先生に促されてどこかのペアに入れてもらっていたし、
修学旅行では話したことのない人達のグループに振り分けられ、3日目に行ったディズニーのパレードを一人で眺めていたら泣きそうになった。

球技大会では出番以外ずっと誰も来ない階段で本を読んでいたし、
学食で一人で飯を食べていたら同じテーブルに野球部たちがやってきて僕を除いてすごく盛り上がっているのに、僕は全然気にして無いふりをして必死に飯を早く食べ終わろうとしていることに泣きそうになったし、
休み時間にトイレに行って自分の机に戻ろうとしたらクラスメイトが座ってて、どいてって言えないから用もないのに誰もいない廊下を徘徊して時間を潰したりしたし、
体育のバレーで気になっていた女子のサーブが味方の僕の後頭部に当たって、背後からすごく謝っているのが聞こえているのにどう反応すればいいのか分からなくて全然気にしてないのを伝えたいのに結局振り向けず無視してしまったりした。

僕は完全に孤独を拗らせてしまっていた。
クラスに話す人がいないと、話す機会が無い。
だからいつも無表情だし、常に頭の中には焦りと不安と自己否定が渦巻いていて、人と話すどころでは無い。
朝礼中にテロリストが侵入してくる妄想をするように、常に一人で頭の中ではクラスメイトと話すシミュレーションをたくさんしているのに、
たまに話しかけられた時には、きょどってしまいうまく話せず、会話を広げられずに終わってしまう。自分の不甲斐なさに泣きそうになる。

そういう状態が続くと、抑うつのような症状が現れてくる。
まず朝は眠たいのと不安感でなかなか起きられない。
ギリギリで登校するも、常に緊張していて気が休まらないから消耗も激しい。
常に頭の中にノイズが入り乱れているからうまく集中できない。
何をするにも常に恐怖や不安が伴うからいちいち疲れる。
帰った後は疲れ切っていて何もやる気が起きないし、日中の嫌な出来事がフラッシュバックしてイライライライラしている。それを麻痺させるためにずっとスマホをいじるしかなくなるが、それにも疲れると猛烈な虚無感が襲ってきて心が休まらない。
寝ると朝が来てしまうから怖くて眠れない。
だから朝まで起きるか、気絶するように眠るしか無い。
そうなると睡眠時間が足りず、ますます学校が憂鬱で行きたくなくなり、休むようになる。
休んでいても常に焦りや不安感がつきまとうため、回復ができない。
だから当然勉強する気力もなく、成績は下がっていった。
勉強ができることをアイデンティティにしていた僕はさらにその事実に打ちのめされた。
ますます自分の価値を見失い、死にたいと毎日思った。

今思えば、僕がクラスに馴染めなかったのは、
もちろん気が合う人にうまく会うことができなかった、というのはあるけれど、
自分の外の世界を知らない経験不足と、
プライドが高く、傷つきやすかったことが原因だったんだと今では思う。

僕は生まれ育った地域の中学校を卒業後、一人で県外の高校に入った。
高校に推薦入試で入った僕は、中学校のころ成績が良く、男女問わずに普通に話せて馴染んでいた。だから当然、高校でも自分はクラスの中心にいける、というようなことを、無意識に思っていたんだと思う。
自分は周りに認められる価値がある人間だと信じて疑っていなかった。
それがプライドの高い、傲慢な僕の勘違いだった。
 
だけど、県外の高校はみんなが華やかで、
男子は大声かつ面白いことを言って盛り上がる集団ができていたし、
女子は身だしなみに気を遣い、可愛い人が多く、グループでキャアキャアと騒いでいた。
そして男女それぞれの目立つ人達が交流し、仲良くなっていた。

僕はその中に割って入っていけなかった。
クラスに存在するためには、その盛り上がったグループに入らなくてはいけないと思った。
だけどそれはできなかった。
何か膜のようなものがあって、同じクラスなのに全然違う世界に僕は置いて行かれているような気がした。
プライドの高い僕は、そのグループに認められたい気持ちがあるのに、逆になぜそのグループに認められないといけないんだ、と捻くれた気持ちがせめぎ合っていた。
クラスで存在するためには、華やかなグループに入りたいキョロ充たち(死語)の前に肩を入れ、列に割り込み、自分の存在をアピールしないといけないのか、という絶望的な気持ちがした。
なぜ等身大の僕を誰も見てくれないんだ、という拗らせた気持ちを常に持っていた。

僕はいつまで経ってもクラスに馴染めず、居心地が悪いまま数ヶ月が経っていることに愕然とした。
そしてクラス替えがあり、ついにクラスに話す人が一人もいなくなった時、
僕はぼっちである自分がとても恥ずかしく、周りからどう思われているのかがどうしようもなく気になり、神経を擦り減らすようになった。
すると、周りから下に見られるのが怖いから、自分から接触を断ち、無表情にし、声を発さず、存在感を消すように振る舞うようになる。
ぼっちである自分がクラスで炙り出されるのが辛くて堪らなかったから。
それはプライドが高く、傷つきやすい自分を守るための自己防衛だった。
だけど、そうすることでますます孤独は深まり、周りから孤立していくようになってしまっていた。
もう僕はそこから脱出することも出来ないし、
誰からも助けられない状況になってしまっていた。

負のスパイラルは止められないのに、少しでも傷つかないように息を潜めて、ただただ耐えていく日々が続いた。
最近読んだ朝井リョウさんの「正欲」では、この時の感覚に近い文があったため抜粋しておく。


どこにいても、その場所にいなきゃいけない期間を無事乗り切ることだけ考えてる。誰にも怪しまれないままここを通過しないとって、いつでもどこでもおもってる。
そうすると、誰とも仲良くなんてなれないんだよね 

朝井リョウ「正欲」p201より抜粋

僕は学校生活を楽しむどころか、苦しみの中をなんとか耐え抜く地獄だと思って過ごしていた。
そんな状態のやつが何かを楽しんだり友達を新たに作れるわけがない。
僕は毎日折れないように必死だったからこそ、周りから悪気がなくとも傷つく振る舞いをされると、自分があまりに滑稽でみじめで、消えてしまいたいと思ってしまっていた。

前述した朝井リョウさんの「正欲」の冒頭でも、街の広告などは全て「明日生きること」が社会の前提であることが示唆されているという文があった。
この時の僕は何のために自分が存在するか分からなかったし、何のために我慢しないといけないのか、どうせ明日に希望は無いのに、という退廃的で破滅的な気持ちだった。
当然、学校生活を健全に謳歌するクラスメイトとは全く違う世界で生きていて、
クラスには存在しているけど、クラスという社会の枠からは外れて宙ぶらりんの状態になっていた。

僕はどうすれば良かったのだろうか?
今でも時々考えることがある。
もう少し自分を傷つけずに楽に過ごすことが出来たらどんなに良かっただろうかと。

結局、僕はクラスで馴染めないまま受験期に突入した。
クラスに馴染むことをもはや諦め、
自分の感情や出来事をメモに吐き出して記録し、
このクソみたいな日々がせめて未来の糧になることを願い、今はもう底辺なまま過ごしてやると思った。
少し開き直ってもやはり辛いものは辛く、休みがちの日々は変わらなかったが、
少しずつ勉強に精を出すようになった。
結局、積み重ねが足りずに受験に落ちて浪人することになったが、
正直ホッとする気持ちもあった。
大学に進んでまた同じことを繰り返す前に、少し休みたいという気持ちが強かったから。

その後、
自宅浪人でも紆余曲折ありつつも、大学に合格し、
大学では高校の反省を活かして、少し馴染めるようになった。
本質は変わらないけど、後悔しないように擬態を頑張るようになった。
無理して繋ぎ止めた関係はコロナで全部いなくなったけど、運良く気が合う人たちと仲良くすることはできたから、高校に比べればしんどい時間は少なくなった。

僕は高校3年間クラスに馴染めなかった。
二度と戻りたく無いと思っていたのに、何年も経ってしまうとこうして振り返って、懐かしいと感じてしまうし、
当時の日記を読み返して、これはこれで良い経験だなんて思ってしまうけど、
当時の自分が今ここにいたら殴られてるかもしれない。

数年経って喉元過ぎれば熱さも忘れて、
いい気なもんだな。
俺と変わってみろよ。こっちは常に消えてしまいたいと思ってんだ少しの時間でもそれから脱出したいから俺と変わってみろよ!!!

って当時の自分にキレられるだろうな。

だから、今の僕は高校生の僕のために、
あの日々があって良かったなんて言えない。
絶対に無い方が良かった。
悲劇も物語の一部にしてしまえば綺麗に見えがちだけど、物語の悲劇の当事者はあまりに不憫だし、救われない。

僕は高校生活を通じて、
人は環境によって変化するもので、
その環境のその人の状態が、その人の人生の全てではないことを学んだ。
特定の環境下でしかその人の価値が推し量れるわけではない。

僕はこのままで終わるのが納得いかなかったから
次の環境に希望を託した。当時の辛い気持ちがあったから今があると言うつもりはないけど、
何にせよ死なないで生きてくれてた当時の自分に感謝している。

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