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自意識を映す鏡

RYO TOMIE
「The Story Only I Can Tell You」(1F)
「楽園へ」(2F)
GALLERY33 NORTH
2021/2/24 - 2/28

作家が普段からSNSの投稿で意識的に作っているであろうパリピなイメージが、いい意味で裏切られたと感じる、人間の自意識問題に深く抉り込むような展示だった。
作品も一見すると彩度が高く軽快なものがほとんどだが、展示の意図を読み込むと徐々に「暗さ」が現れてくる。その落差が大きい。

1F は20ページくらいの私小説が中心の展示であり、展示空間とは異なり文字列の中は終始湿度が高い。変えることのできない幼少期の過去を鬱々と振り返る。

2Fはフィクションに溺れる架空の画家を描いている。引用している映画「キャスト・アウェイ」の結末とは異なり、画家はループ系アニメのような閉塞状況から抜け出せず孤立したままだ。

過去(1F)とフィクション(2F)に向かう二つのベクトルの基点はまさに展示が行われている現在(地)だが、二つのベクトルには現在(地)になんらフィードバックするものがない。
そんな現在(地)には前進も後退もできない「停滞」が貼り付く。
こじつけかと思いつつも、否応無く2020年前半頃のコロナ禍による引きこもり生活を連想する。

そんな一見軽薄そうですらあるのに、その実は二部構成の舞台設定によって「気持ち悪い」(※「エヴァ」旧劇場版より)自意識と向き合うことを促される「鏡」のような展示だと感じた。

【数日後】

数日たって上記の文章を振り返ると、「裏切られたと感じる」「一見軽薄そうですらある」のあたりで分かるが、
私にはスクールカーストという制度(というか空気)によって刷り込まれたパリピやウェイ系やマイヤンといった人種に対するルサンチマンが、まだどこか残っているなと思う。

同時に美術予備校時代に刷り込まれた、モチーフに対して投じたリソースが描き込みやデッサン力という形で表れている作品の方がエライという観念もまた確実に残っている(美術を学ぶと決してそんなことないのはすぐ分かる)。

これらのことからRYO TOMIEさんの展示は私というオタクにとって磨き上げられた鏡だった。

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