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中身は空で外形は解け(かけ)た地縛霊としての言葉

光岡幸一《「   。」》

つくばセンター広場という子供が戯れる公共空間でスマホをかざすと読むことができるARによる言語作品。

扇動を目的とした政治的メッセージ(プロパガンダ)でもなく、
ジョン・カーペンターの映画『ゼイリブ』で描かれるような大衆への操作を目的として隠蔽された言語でもない。
そのどちらも当てはまらず、公共空間での言語の役割を脱臼させている。

(余談だが垂れ幕と手書きの文字でのパフォーマンスという当初のプランは言葉の内容ではなくその形式のみによって「政治的な活動を想起させる」という理由で行政側からストップがかかった。)

また広場に漂う言葉には、正直大した意味が付与されていないと言ってよい。

これは「言葉は器であり外見と中身は異なることがある」という事実を思い起こさせる。

さらに光岡の作品の場合は最初から器に中身が入っていない(=ゲシュタルト崩壊の不可能性)。

また外見で判断してもヒモのようにほどけかかって文字の形を成さなくなる寸前にも見えるし、実際鑑賞者が動くことによって文字は分解する(=文字の図像への還元)。

すり鉢のようなつくばセンター広場で、器としての外見もほどけ(かけ)て、中身の意味をもほぼ剥奪された言葉が、一方でARとして今もこの場に地縛霊のように滞留し続けるという矛盾。

アァーとかウゥーみたいな意味を結ぶ以前の音声が、五感で知覚できるものとは別の位相で木霊しているような、なかなか特殊な状況だ。

これらの見えないが存在する言葉を心強いと認識するのか不気味な異物と認識するのかは、受け手の心持ちでかなり変わりそうだ。
その意味で妖怪や幽霊への構えに似ていると感じた。

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HAM(平砂アートムーヴメント)2022
『パフォーマンス:わたしより大きなりんかくがみえる』

会期:2022/10/8 - 10/10
時間:12:00 - 17:00

https://hirasunaartmovement.org

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