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「〇〇の役割は他者の世界を説明することではなく、私たちの世界を多元化することだ」

畑中章宏『蚕 ー絹糸を吐く虫と日本人』(晶文社 2015)を読んだ。

『古事記』『日本書紀』や邪馬台国、飛鳥時代の蚕の記述から入り、養蚕が日本人にとって(民間から皇室まで)いかに身近なもので、明治以降は外貨を稼ぐために国を挙げて生産性を高め世界一の生糸輸出国となり、近代化の達成(1960年代後半〜1970年代初頭)とともに急速に姿を消していったかが概説的に書かれている。

参考文献とフィールドワークの訪問先の数、
そしてなにより蚕に関する民間信仰の対象の記述の多さが際立つ。
オシラサマ、石神(猫石神、蚕種石)、蚕の害獣である鼠の天敵(猫・蛇・百足)の絵馬、各地の神社に残る蚕神の像、馬娘婚姻譚(異種交配により蚕が生まれる物話)等…。

これらから養蚕業の歴史の異様な深さと長さが想像できるが、そんな産業がせいぜい半世紀前にほぼ消滅してしまった事実に直面すると、日本人が失ったものの代わりに一体何を得たのかという抽象的な大風呂敷を広げてしまいたくなる。

上下水道、電車や自動車の交通網、西洋風の衣服、建売住宅、モール、コンビニ等、それらが悪い訳ではなく恩恵も受けているが、「蚕」というつい最近まで自国に存在しており生活に深く埋め込まれていた産業を振り返ることは、現在を多元的にとらえるための重要な物差しになりうるだろう。

「人類学の役割は他者の世界を説明することではなく、私たちの世界を多元化することだ」
(エドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロ)

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