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自分自身の生きるスジは誰にも渡してはならないんだ。

いのちを賭けて運命と対決するのだ。

そのとき、切実にぶつかるのは己自身だ。

己が最大の味方であり、また敵なのである。

著者[岡本太郎]
芸術家。1911年生まれ。29年に渡仏し、30年代のパリで抽象芸術やシュルレアリスム運動に参画。戦後日本で前衛芸術運動を展開し、問題作を次々によに送り出す。70年大阪万博で「太陽の塔」を制作し、国民的存在になる。今も若い世代に大きな影響を与え続けている。


■爆発の秘密

今世間で芸術と思っているのは、ほとんどが芸術家の作った商品であるにすぎない。

芸術というのは生きることそのものである。人間として最も強烈に生きる者、無条件に生命を突き出し爆発する。

その生き方こそが芸術なのだということを強調したい。

「芸術は爆発だ」

自分を認めさせようとか、この社会のなかで自分がどういう役割を果たせるんだろうとか、いろいろ状況を考えたり、成果を計算したり、そういうことで自分を貫こうとしても、無意味な袋小路に入ってしまう。

今、この瞬間。まったく無目的で、無償で、生命力と情熱のありったけ、全存在で爆発する。それがすべてだ。

そうふっきれたとき、ぼくは以外にも自由になり、自分自身に手応えを覚えた。

もちろん、生活の上で、芸術活動の上で、さまざまな難問や危機は次々と押し寄せてくる。

しかし、恐れることはない。


■一度死んだ人間になれ

ぼくはつくづく思うのだか、好奇心というのは、生命を賭けて挑む行動に裏打ちされなければ、生きる感動としてひらかないのではないか。

だから、それはただの「お遊び」では駄目なのだ。全生命、全存在を賭けて、真剣に、猛烈に遊ぶのでなければ、生命は燃え上がらない。

いのちがけの「遊び」と、甘えた「お遊び」とは、まったく違うのである。

今日は余暇社会などと言われ、管理された日常の外に生きがいを求めようとする人が多くなっている。

農作業でも、コンピュータの操作でも、強制された労働としてやれば苦役だが、自由な「遊び」として創造的に取り組む限り、それはよろこびだ。

言い換えれば、人生、即、芸術。

誰もが好奇心を大いに発揮して、真剣に、無条件に、人生をひらいてほしい。


■楽に生きる人間は何を考えているのか

人間は自分をきつい条件に追い込んだ時に、初めて意思の強弱が出てくる。この点を、実に多くの人が勘違いをしている。

例えば、画家にしても才能があるから絵を描いているんだろうとか、情熱があるから行動できるんだとか人は言うが、そうじゃない。

逆だ。何かをやろうと決意するから意思もエネルギーも噴き出してくる。何も行動しないでいては意思なんてものありゃしない。

自信はない。でもとにかくやってみようと決意する。その一瞬一瞬に賭けて、ひたすらやってみる。それだけでいいんだ。また、それしかないんだ。

意思を強くする方法なんてありはしない。そんな余計なことを考えるより、本当に今やりたいことに、全身全霊をぶつけて集中することだ。

ひたすらそれを貫いてみる。はたから見れば、あの人はなんという意思の強い人なんだろうということになるんだ。


■道は一本か、十本か

この世に苦しみ悩んでいるのは決して自分だけじゃない。

世の中のほとんどが、同じ悩みを持っていると言ってもいい。不満かもしれないが、この社会生活以外にどんな生き方があるか。

ならば、まともにこの社会というものを見据え、自分がその中でどういう生き方をすべきか、どういう役割を果たすか、決めなければならない。

一人ぼっちでも社会の中で自分であることには変わりはない。その社会は矛盾だらけなのだから、その中に生きる以上は、矛盾の中に自分を徹する以外にないじゃないか。

そのために社会に入れず、不幸な目にあったとしても、それは自分が純粋に生きているから、不幸なんだ。純粋に生きるための不幸こそ、本当の生きがいなのだと覚悟を決めるほかない。

自分はあんまり頭もよくないし、才能のない普通の人間だから何もできないんじゃないか、なんて考えてるのはごまかしだ。

そういって自分がやらない口実にしているだけだ。

才能なんてないほうがいい。才能なんて勝手にしやがれだ。才能のある者だけがこの世で偉いんじゃない。

才能のあるなしにかかわらず、自分として純粋に生きることが、人間の本当の生き方だ。


■正義の裏・悪の裏

冒険は賭けである。ならば一生を通しての闘いであるべきだ。人生全体が終わりのない冒険であるはずだ。

それを一定の目的だけに限定して、あたかも事件のように、冒険が行われたりする。つまり、いわゆる「冒険」の前提には何か甘えがある。

日常生活の中で、この社会のどうしようもないシステムの中にがんじがらめにされ、巻き込まれながら、しかし最後まで闘う。それこそ、危機にみちた人生だ。

何でもないことに筋を通すことの方が、かっこいい冒険よりもはるかに難しいし、恐ろしい遊びなのだ。このように人生すべてが冒険なら、あえてある時点において、自分を特殊な状況において自己満足する必要はないだろう。

朝起きてから寝るまで、瞬間瞬間の闘い。ごく些細なものから、重い決断まで、さまざまだ。瞬間瞬間に賭けて、人生の価値をまったく転換してしまわなくてはならないのだ。

人間は必ずしも成功することがよろこびであり大事なのではない。闘って、後に崩れる。その絶望と憤りの中に、強烈な人生が彩られることもある。


■成功は失敗のもと

俗に「失敗は成功のもと」という。そんな功利的な計算ではなく、いばらの道に傷つくことが、また生きる喜びなのだ。通俗的な成功にいい気になってはならない。

むしろ「成功は失敗のもと」と逆に言いたい。その方が、この人生の面白さを正確に言い当てている。

若い人たちに言いたい。ただの生ぬるいサラリーマンになることは容易だ。しかし、そこでは本当の自分をごまかして、画一化するより他はないのだ。

それよりも、自分の目、手で触れる。だからこそ危険な道を切り開いていくべきだ。決して遅くはない。諦めて、投げてしまってはならない。

あえて敗れることを決意して、社会にぶつかるのだ。それによって、さらに大きな、輝かしい人間像を形成していくのである。

激しく挑み続けても、世の中は変わらない。しかし、世の中は変わらなくても自分自身は変わる。

今まで、ぼくは随分と闘ってきたが、世の中が変わらないどころか、逆に悪くなってきている。

変えようと思っても、変わらないのは真実なんだ。だけど、挑むということでぼく自身が、生きがいを貫いている。

ぼくは絶対に、変わらない社会に妥協しない、これがぼくの姿勢だ。


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まず、この本は夢や目標に向かっている人や、現状を打破したい人にはぜひ読んで頂きたい。

岡本太郎という人は、多くの人が我慢する普遍的なルールを、自分が違うと感じたら、どんなに批判されようが意思を貫き通す人だった。

18歳でフランスに渡り、そこでピカソの絵画に出会う。

そこで「ピカソを超えたい」という夢を持つ。

しかし、現実は甘くない。自分の作品がめちゃくちゃに批判される。

だが「新しい芸術は岡本太郎から始まる」と信じていた。

「あなたには才能がないから無理」、「そっちの道はリスクが高いからやめとけ」周りは危険な道に進ませない。しかし、危険な方を選ぶことで本当の闘う意思が生まれるのだと。

闘う意思があるから危険な道も進めるのではない、危険な道を進むからこそ闘う意思が沸き上がるのだと。

相対的価値に意味はない。自分の中の絶対的価値にこそ意味がある。

そう信じたからこそ、国民的な芸術家になった。

多くの人は、子供のころから夢を持っているものだと思う。だが、大人になるにつれて現実を知る。「やっぱ俺には無理だ」とか想いながら、夢は消えていく。

そういった夢を消した人たちが、夢を叶えるための危険な道を否定する。

その人達は否定しなければ、自分の「夢を消した」ことが間違いだと認めることになるのだから。

しかし、自分の絶対的価値を信じることができれば「夢」や「自分を生きる」という領域に入るのではないかと感じる。

私自身や、夢に向かっている人に言いたい。

「誰かの価値には見向きもするな、自分の価値を見つめるべきだ」と。

最後にこの本を紹介して下さった方に、感謝して終わりたい。

私の情報が少なからず皆さんのお役に立てればと思います。

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