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第8話 フォロワーはどのようにリーダーを認めるの?―推論過程と再認過程―


  今回もお読みいただき、ありがとうございます。なんとか第8話まで書き進めることができました。貴重な時間を使って、お読みいただいていますことにあらためて感謝申し上げます。第3話で、リーダーシップとは、ついてきてくれる人、つまりフォロワーがいて初めて成立するということを説明しました。今回は、フォロワーは、なぜリーダーについて行くのかということについて説明したいと思います。

 部下社員がリーダーの地位にある人を、意地悪な、おっさんや、おばさんと思っているとしたら、ついて行くことはないでしょう。しかし、第5話のマネジメントとリーダーシップとの差異でお話ししたとおり、そのように認識されている人であっても、会社等の組織において、それなりの地位に就いて、マネジメントという武器を手にしたら、部下社員を追従させることは可能です。任命されたリーダーのリーダーシップを考える場合、このあたりが厄介なところです。無能なマネジャーが、その無能さを隠すために、人事評価や予算などポジションパワーのみをちらつかせて部下社員を追従させることはよくあることです。しかし、これでは、面従腹背という言葉にもあるように、部下社員の最大限のパフォーマンスを引き出すことはできませんし、反対に、ストレスの元となる場合もあります。ましてや、喜んでついて行くなどということはあり得ません。

 リーダーに喜んでついて行くためには、リーダーが効果的なリーダーシップを発揮する者としてフォロワーから認められていることが必要です。
 フォロワーによるリーダーの認知について、アクロン大学のロードとミズーリ大学のマハーという学者は、人のリーダー認知プロセスには、2つの情報処理過程があるということを明らかにしています。
 「推論過程」(inferential processes)といわれる情報処理プロセスと、「再認過程」(recognition-based processes)といわれる情報処理プロセスです。 

 まず、「推論過程」といわれる情報処理プロセスについて説明します。例えば、テレビや新聞などで見た政治リーダーやスポーツチームの監督については、日常の行動観察による判断の手掛かりが無いためにフォロワーは、そのようなリーダーについて明らかにされた行動の結果や特徴を拠り所として彼(女)らを評価します。例えば、スポーツチームが優勝した場合、チームを優勝に導くからには、そのチームの監督は優れたリーダーに違いないと推論し、その監督への評価は高いでしょう。仮にそのチームの中に優れたプレイヤーがいてその優勝はほとんどそのプレイヤーによる功績が多い場合であっても、そのような優れたプレイヤーをうまく指導した監督は優れた監督と推論されます。他方、結果が芳しくない場合には、リーダーは有能でないと推論し、評価も低いでしょう。このような判断の背景には、成功すれば有能なリーダーであり、失敗すれば無能なリーダーであるという、合理的説明に基づいた暗黙の考え方があります。以上のような判断過程は、因果関係の推測による合理的な説明を伴うので、統制過程(controlled processes)とも呼ばれています。居酒屋等でリーダーシップについて評論するには「推論過程」で十分ですが、いざ、職場でのこととなるとそれだけでは説明がつきません。

 そこで出てくるのが、「再認過程」といわれる情報処理プロセスです。このプロセスは、日頃からフェイス・ツゥ・フェイスで接触が多いリーダーを評価する際に使われる情報処理過程です。フォロワーは、結果や出来事から、リーダーを優れているか、そうでないかと推論する暗黙の考え方だけでなく、「リーダーとはこういう人であるという一連のリーダー像」(「リーダー・プロトタイプ像」と呼びます。)を持っており、これが、リーダー当事者への評価に影響を及ぼすというものです。具体的には、フォロワー自身が持っている「リーダー・プロトタイプ像」と、現実のリーダーとが整合していれば、「リーダーとしてふさわしい」と判断し、そうでない場合は「リーダー的でない」と判断するということです。この情報処理過程の特徴は、自分自身の持つリーダー像との比較による直感的しかも瞬時に判断されるので、自動処理過程(automatic processes)ともいわれています。そして、「再認過程」は、情報の直感的な自動処理過程ですから、フォロワーの注意、意図、努力などがさほど必要とされないということが特徴です。

 1人でも部下を持った場合、フォロワーとの関係は、フェイス・ツゥ・フェイスでの接触がほとんどですので、フォロワーは、「再認過程」による情報処理を行っていると想定されます。とすると、フォロワーが持つ「リーダー・プロトタイプ像」に基づいてほぼ直感的にリーダーであるかどうかを判断しています。例えば、リーダーとは「厳しい」ものだ、という「リーダー・プロトタイプ像」を持つフォロワーがいたとして、現実のリーダーが、「優しく」接していたとすると、フォロワーは、「このリーダーについて行って大丈夫だろうか?」という物足りなさを感じるかもしれません。このことは、フォロワーがリーダーについて行くかどうかは、フォロワーが持つ「リーダー・プロトタイプ像」に左右されるということを示唆しています。つまり、1人でも部下を持つリーダーは、自身で良かれと思ってとった
行動が、フォロワーにとっては受け入れられない場合もあるということを常に認識しておく必要があります。

(参考文献)
Lord,R.G.,&Maher,K.j.,(1993),Leadership & Information Processing:Linking Perceptions and Performance,Routledge.



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