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富野由悠季談話に関する一考察  〜2010年10月23日鳥取市元魚町一丁目の芸術祭の談話から〜

商業としての作品

 以前から、富野由悠季監督はテレビアニメを作るときの「スポンサーとの関係」を重視する発言をしている。今回の談話の中でも、「コストパフォーマンスを考える」「芸術だってパトロンが必要」と述べられている。まず、本論は富野監督のそれら発言の要因を、アニメ史の中から分析することから始めたい。

 ロボットを題材にした、いわゆるロボットアニメは『鉄人28号』や『マジンガーZ』から始まり、現在まで数多く製作されている。このロボットアニメは、主におもちゃ会社の出資によって製作されることが多かったのだが、それは、ロボットアニメは登場するロボットをおもちゃ化し、それを売ることで利益を得るためだった。つまり、極論すればおもちゃを売るためのコマーシャルに過ぎなかった、といえる。しかし作り手は、そういった状況の中でも、個性を発揮しより優れた作品を作ろうと努力する。スポンサーと作り手は、このように互いに違う論理を持ってアニメ作品を製作していたのである。

** 『機動戦士ガンダム』はこの関連商品販売のためのコマーシャルと、作り手の個性という二つの論理が、高い次元で融合していたからこそ、三十年という長きに渡って存続する作品になりえたといえる。**それは、たとえ監督の意図した本来の作品の形ではなかったとしても、である。ガンダムの特徴的なカラーリングは、富野監督の意に反し、スポンサーの意向に沿ったものを安彦良和氏が描いたという事例は有名だが、『ガンダム』が一般に、『ガンプラ』のブームと表裏一体に論じられることが多いことが、商品販売にも成功していることを何よりも雄弁に語っているだろう。

『新世紀エヴァンゲリオン』の初号機も、スポンサーから最初「敵のロボット」と思われたというエピソードもある。確かに、カラー・フォルム・表情どれも主役機の定番からはかけ離れている。今に至っても、スポンサーの論理に大きな変化はないという好事例だろう。

 それでは、『ガンダム』の大ヒット以後、ロボットアニメはどのように変わったのだろうか。『ガンダム』の二匹目の泥鰌を狙ったスポンサーは、以降作り手の個性を広く容認するようになる。作り手は、以前より自由にストーリーを編み、キャラクターを描けるようになった。

 その結果、個々の作品の差別化が促進され、リアルロボット路線、アイドル+三角関係+変形、ファンタジー調、スーパーロボット回帰的な作品などが多種多様に生み出されることになった。しかし、80年代中期になると次第に作品の極化が進み、ストーリーは難解になり、視聴者、特に主な支持層である子供の支持が失われていった。関連商品の売れ行きは低迷し、結局はスポンサー離れに繋がった。製作の自由を獲得したロボットアニメはそれによって自壊していったのだ。

80年代前半から半ばにかけて生産されたロボットアニメは、その多くが商業的成功を収めたものとは言いがたい。作品として傑作かどうかは別として(上の画像は本文の内容とは関係ありません)。

 対して、徹底的に商業路線に走った『トランスフォーマー』シリーズが好評を博し、また少年マンガを原作に持つ作品が人気を得はじめたのもこの時期である(85年から89年まで続く長期シリーズになった。ある意味、ロボットアニメの命脈を保った作品といえる)。

 ・・・・・・シラーは万人に賞賛されるものは芸術ではないと言った。だが、作曲家や画家など現代まで名を残す多くの芸術家も、生前はパトロンの支持を得て創作活動をしていたのだし、またパトロンから求められたものを製作していたのだ。その点で言えば、例えクラシック音楽とはいえ、当時では流行曲なのだし、スポンサーの意向という枠組みから抜け出せてはいないのだ。傑作は、作り手が、自らの「個性」と誤解する自己満足だけでは生まれ得ず、スポンサーという別論理とのせめぎあいの中からこそ生まれるものなのだ。


クリエイターとして

 次に、富野節と呼ばれる独特の台詞や濃厚な人間ドラマを持つ富野監督独特の演出について考えてみたい。

 D・W・グリフィスや手塚治虫など、先駆者たちは常に前例と破壊することを考えていた。富野監督も、今回の談話の中で「現状の打破」という言葉を用いて、独創性のある表現の重要性を述べられているが、こういった先駆者や、独創性のある表現法について語るとき、富野監督はよく宮崎駿の名を挙げる。

 デヴィッド・ウォーク・グリフィス(1875~1948、アメリカ)。「映画の父」と呼ばれる。フェードインやクローズアップといった技法、ストーリー性など、現在の映画の原型を作った。

 1978年に放送された宮崎駿監督のテレビアニメ作品『未来少年コナン』。その第14話「島の一日」の絵コンテを富野監督は担当している。しかし、富野監督が作った絵コンテに宮崎は大幅に手を加え、ほとんど違うものにしてしまったという。1978年といえば、『ガンダム』放送の一年前である。一躍打って出ようという時期に、富野監督は宮崎という強力個性の存在を思い知らされることになった。

 ただ、これは富野監督の絵コンテだけを気に入らなかったわけではなく、誰が書いてもほとんど全ての回の絵コンテに宮崎駿は手を加えていたという。

 宮崎駿という「モンスター」(BSアニメ夜話の『カリオストロの城』の回において、岡田斗司夫が宮崎を評して。同じ回で岡田は、宮崎駿のおかげで富野も押井守も陰に隠れてしまう、と言っている。ちなみに、『カリオストロの城』の公開は『ガンダム』放送と同じ1979年)の存在を、富野監督は常に意識している。しかし、両者を評価する時、現在は劇場用作品を主とする宮崎駿に対し、テレビアニメで、しかもロボットアニメに作品舞台を見出す富野監督では、その比較するポイントは異なってくる。

 時間に限りがあり、観客が自発的に鑑賞してくれる映画は一見現実とはかけ離れた設定を無理なく見せ切ることができる。しかしテレビアニメは、視聴者に毎週チャンネルを合わせてもらう必要があり、一年間続くドラマ性を作り上げなくてはならないのである。

 富野監督はよく、戦争という舞台を用いる。戦争を描くことによって、いうなれば絵空事にすぎないアニメにおいて、登場人物たちの生死や苦悩などを、強く視聴者にアピールすることができる。人を惹きつけて一年間離さない強いドラマ性を生み出すことができるのである。

 庵野秀明は綾波レイという存在を「薄くて透明なプラスチックの上に絵の具が乗っていて、それに林原めぐみの声がついているだけ」と論破した。突き詰めれば(セル)アニメとはそういうものにすぎない、ということである。

 しかし、それは同時に、戦争という生臭いテーマを嫌う視聴者を排除することにもなってしまう。戦争に対して「日常」を取り上げることは、視聴者に対して安心を与える。この普遍性が数多くの視聴者に共感を与えるのだ。富野監督のいう「一億人を黙らせる仕事、百年残る作品」を宮崎は体現しているのだ。

富野監督の近年の作品は、戦争を舞台としながらも、以前のような、いうなれば「死闘」を描くのではなく、戦いによって両者が何かを見出していこうとしているかのような、そんな展開を見せることが多い。戦争という舞台を用いずとも一億人を黙らせる仕事を、今でも模索しているように思うのである。


「地方」を見る目

 今回の富野監督の発言の中で、地方について述べたところがいくつかあるが、中でも地方性と独自性について語った点は注目に値する。地方色を強く出すこと、これがイコール独自性と考えられていた時代があったが、これは結局、ただ独自性を出すことそのものが目的となってしまい、失敗していった、と監督は語っている。では、ひるがえって監督の作品世界で「地方」はどのように位置づけされているのだろうか。最後はこの事について論じたい。

富野作品の舞台は「地方」(大都市や政治的な「中央」に対して)から始まることが多い。『ガンダム』ではアムロの暮らしていたサイド7。『Vガンダム』はカサレリア。『イデオン』は開拓星であり、『ダンバイン』は一地方領からスタートする。大都市から、ということはほとんどない。また、ストーリーは移動、放浪、逃亡など、集団が動き回る展開が多く、物語りとしても「中央」が重要視されない。例えば『新世紀エヴァンゲリオン』は第三新東京市という都市が物語の舞台として設定され、主人公たちはほとんどこの町を動かず、ストーリーもこの町を中心に展開していく。また富野監督も今回の談話の中で触れていたが、『マジンガーZ』も光子力研究所という特定された場所で戦うことが多い。また近年では特定される都市を舞台にしているアニメ作品も多い(『けいおん!』や『らきすた』など最近などアニメ作品は、ロケハンなど行って、実際の町並みを忠実にアニメに取り込むことをしている)。こういった舞台の「中央」を持つ作品に対して、富野作品は、放浪の中で個々のキャラクターたちが現れては消えていく、この動きによってストーリーが形作られている。作品の舞台を、地域ではなく人の集まる場所に、ガンダムで言えばホワイトベースに置かれているのである。

 富野作品には「船」が登場することが多いことがそれを如実に示している。主人公が船に乗り込むことで物語が始まり、船を下りる(もしくは船が沈む)ことで物語が終わる。

 ゆえに、富野作品の中では、特定される「地方」は重要な要素ではない。むしろ近年いくつかの作品の中で監督が重視しているといえるのが「芸能」であり「祭り」だろう。『∀ガンダム』では、第一話に成人の祭りが登場し、『キングゲイナー』ではミイヤというアイドル≒巫女の祭りからストーリーが始まる。富野監督自身、出雲阿国についての発言をしているが(『キングゲイナー エクソダスガイド』(2003年、メディアファクトリー刊)より)、地方性という事について考えたとき、富野監督は、舞台としての「地方」に捉われるのではなく、より広く、祭りなど「民俗」的なものに着目しているように考えられるのである。

 以上、商業、クリエイター、そして地方性の三つの点から今回の富野監督の発言について、考察を加えたが、これら富野監督の考え方の下には常に「必要性」という言葉が隠れている。監督が著書『だから僕は・・・』で述べられている通り、スポンサーとの駆け引きや前例の打破などは、全てアニメ業界で生き抜いていくための「必要性」から導き出された結論である。今回でも「修羅場を抜けて自分を持て」と最後に富野監督は言われた。それは、以前宮崎駿が「アイデアは取っておく、いつか必ず実現すると時がくる」と言ったことと通じるものがある。若いときは焦り、血気にはやるものだが、その時は我慢し、まず生き抜くための作品作りをすればいい、いつか自分の作りたいものを作れるチャンスがやってくる、ということだ。箴言とすべきであろう。

 では富野監督は、クリエイターすなわちものを生み出す側に対して、一般の視聴者、つまり受け手についてどう考えているのだろうか。今から約30年前、ビデオも無い時代に「アニメ新世紀宣言」( 1981年2月22日、ガンダム劇場版第一作が公開される直前に開催されたファンイベント)のために新宿に集ったファンと、自分の部屋にいながらインターネットを通じて自由に過去の作品を見、また自分の意見を発信することができる今のファン。監督の目にどう映っているのか。いつか機会があれば伺えればと思う。

(2010年11月21日脱稿、初出誌『元町文庫だよりvol.2』)

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