2017年3月12日手塚記念館トークショー「虫プロの遺伝子 ~ロボットを創った男達」後編
Q、今までのお話で、アニメの黎明期を垣間見ることができました。当時、仕事の量は多かったのですか?
富野 今のほうが多いよ。作っている人が少なかった。昔は新しいスタッフがどんどん入ってくるなんてことはなかった。アニメも粗雑に作るしかできなかった。けど、そういう子供じみた仕事がゆえに「走り仕事」ができた。それで新しいものが次々とできた。今は画だけになっている。お話、という点は劣化しているのかもしれない。かと言って大人の心理をしっかり書いているアニメは、病院のカルテのよう。大人の病理まで書いているのはいいことなのか。それをみなさんはどう考えているのか。自覚しているのか。今後のあり方を考える時代かも知れない。手塚の記念館はそういうアニメが子供のものだった時代を思い起こさせてくれた。
高橋 アトムは200話、うち手塚の話は100話ほど。あとはオリジナルで、それは人の問題をアトムを通して見たもの。そこには色んな題材が入っている。なんでもやった時代。アニメは子供のもの、というのは外国の考え(サンライズの内田特別顧問も同様の発言を。当ブログ2016年12月11日の記事参照。筆者註)。当時は作り手はなんでもやっていい、という気持ちがあった。今はアニメを見て育った人が作り手になっている。自分が見たものを作っている。調査して、ウケるものを作っている。
Q、体験が大事ということですか?
高橋 本当の作家が少ない、と。手塚先生は自分で作ったものを自分で乗り越えていく人だった。勿論、人が作ったものも乗り越えたいと思っていた。今は売れるものをコピーしているだけ。手塚先生は常に新しいものを目指していた。
Q、では、これからのクリエイターに対しては?
高橋 何にもありません。ほっといても自然に出てきますから。育てるもんじゃないんです。湧いて出てくる。
富野 ファンや信奉者の話をしたけど、ステロタイプ、ルーティーンのワクで仕事している。ワクの中で仕事をするのはクリエイションじゃない、ということです。遍く広く、モノを観る。これだけが大好き!というのは危険なんです。しかし「自分の好きなことを頑張って続けなさい」と義務教育は言っている。好きなことだけじゃないのが社会。
だけど、そのことを口に出して言ったら一般論になってしまう。また、そういう売れるワクの中で作られたゲームは人を愚民化している。作っている人たちは、オリジナリティがないものを作っているのに自分をアーティストだと思っている。他の業界も、みんなアーティストになっている。TVも、新しいものを作らず、レポーターでしかないのにディレクターを名乗っている。ディレクションなどしていないのに。レッテルを貼って安心している。
では、新しいアイデアというのはどこから来るのか。ボン、と出て来る。そして、それを私たち凡人が追いかけるの。
高橋 『ラ・ラ・ランド』見たよ。泣いたよ。
富野 ああやって、ボン、と出て来る。それからついて行く。
高橋 『ラ・ラ・ランド』は今を突いてるよね。
富野 けど、あれのファンや、オタクになっちゃダメ。潰す!と思わないと。そうしないとメジャーを追いかけるだけになってしまう。
高橋 相変わらず闘争心だねえ(会場、爆笑)。
Q、はい、虫プロの話に戻します。お二人はお互いをどう見ていました?
富野 私は(高橋良輔を)見下してました。『W3』は絶対見なかった。迂闊に見るとマネをしてしまいそうになる。アレがいいからマネしよう、というのはクズ。東京オリンピックの最初のマーク案と同じ。あれが本当にオリジナルだったら、反発してくるもの。しかし、それがなかった。
だから『ボトムズ』も『ダグラム』も見ていません。迂闊に見たらパクってしまいそう。『だから僕は……』で書いた自分の中学校の時に書いた詩が、後から盗作だと言われた。自分にはその気が全くなかったのだけど、調べたら確かにコピーだった。無意識にしていた。自分もクズだった。そういうことをしてしまうことがある。だからガンダム以降に高橋さんが作ったものは見ちゃダメ、と思った。
高橋 私は全部プロデューサーに見させられました。見ちゃってマネしない、というのは大変だった(会場、爆笑)。
だいたい、軍隊でカッコイイのは空と海。それをガンダムでやられちゃったから残っているのは陸だけ。ダサい陸。だから(高橋作品は)そうなった。富野さんも毎年違うものを作っていた。私も違うものを作ろうとしていった。けど、そうしたら当たらなくなってきたんだよね(会場、笑)。カメラマンもチャンバラも当たらなかったなあ。
『風まかせ月影蘭』(2000年)。監督、大地丙太郎。時代劇好きで知られる高橋良輔は最終話の脚本を手がけたほか、様々なアドバイスを行ったという。
Q、手塚先生の思い出は?
富野 虫プロでの四年間、その姿を見ていました。マンガも読みました。あの超人的な仕事姿。深夜机に向かっていて、その翌朝四時五時にも仕事をしている。なのに、たくさんのジャンルの作品を生み出している知識。あの知識をどこから入れてるの?いつ映画を見ているの?あの頃は丸ペンでマンガを描いているのだけど、丸ペンというのは書くのに力がいる。なのにあの絵。僕はブラックジャックを見て驚いた。やっぱり医者だったんだよね。そんな凄い人なのに、『どろろ』も描いて。なんで巨匠なのに白土三平を追いかけてるんだよ、って。
って、なんで君(高橋)はそういうところを見ていないの(笑)?
高橋 あの人の作品は皆ゴージャスだった。全てが知的にゴージャス。誰でも好きなもの一つはゴージャスに書く事ができる。しかし手塚先生は全てがそうだった。だから大人になっても見れるのだろう。
富野 小林一三の話に戻るけど、一般と繋がっている事業だけではなく文化も引っ張ってきたところに手塚もあるのではないか。
手塚マンガの背負っているものは、深い。『来るべき世界』のポポーニャの色気は、宝塚だよ。手塚だから凄い、のではない。文化を育てている、というのはそういうこと。地元の人もそういうふうに考えて欲しい。ただ消費するだけでなく。
Q、お二人はなぜロボットものを?
富野 作家性がなく、生活をしたいため、です。
高橋 サンライズは……(富野監督、トイレに立つ)……、スターがトイレに行っている間に。虫プロを辞めた七人がサンライズを作った。彼等は経営に責任をとらなくてもよかった部長クラスの人たち。最初が『ハゼドン』。それが受けず。次が『ゼロテスター』。これはサンダーバードの焼き直し。とスポンサーに言われて作った。作った私が言っているのだから間違いないです(笑)。で、次にサンライズがマジンガーZをコピーしたのが『ライディーン』で、ずっとスポンサーの意向でやっていた。
そこにガンダムが生まれて、オリジナルでやれるようになった。スポンサーにマーチャンダイジングを取られないようにもできるようになった。自分としては、ゼロテスターの半年後に『宇宙戦艦ヤマト』が出てきて、やられた、と思った。でロボットものはやりたくない、と思っていて、『009』もあれはロボットじゃないという気持ちでやっていたら、半年後にはガンダムが始まって。辛い目に遭ってるんですよ。
富野 (帰ってきて)勝手に遭ってろ。それは、私もヤマトで痛感しました。西崎ナニガシという、口にも出したくないヤツがいて。トリトンの時も、一度も会わないでやりました。あんな広告代理店上がりのヤツ、クリエイターじゃない。けど、スポンサーの意向と関係なく作品を作ることができる。ヤマトでも、演出家の二番手、みたいな感じで呼ばれたけど、話を聞いてこれは作画が大変過ぎる、と思った。ヤマトが回頭するなんて演出は、無理だと。それを金出すからやれ、と言う。そういう人だった。怖いと思った。三話の演出をしたけど(第四話「驚異の世界!!光を飛び越えたヤマト」絵コンテ)、シナリオがクソだったので、コンテでシナリオを全く無視した。そうしたら(西崎から)「シナリオ通りにやりなおせ」。言われたから演出を全く考えず、一晩でシナリオ通りのコンテを切った。そうしたらOKが出た。バカだな、と思った。ガンダムの企画は、西崎みたいに上からやるのではなく、下から動かしてやろうと思って作った。この経験、アニメの外の人を黙らせる仕事っていうのは、こういうことだ、と思った。だから、今は西崎に感謝しています(会場、爆笑)。
「感謝してます」笑。
Q、メッセージ性については?
富野 それはどれについて言ってるの?ヤマトはメッセージが強い。日本の風土を背負ってるし。それはガンダムも同じ。ガンダムは時代劇に近く、時代劇は日本の風土。人がロボットに乗る、というのは日本人が持っている科学への信頼、日本の技術信仰に関わってくる。アメリカはそれがないから、ヒーローは人で、スーパーマンが実写で戦っている。欧米は科学の外に自分を置く。だから科学が人型である必要がない。技術だけ。超人は「人型の人」。宗教のこともある。日本は八百万の神。明治以降に身のうちに入れた科学への信仰。それが西洋にはじつはない。
高橋 私は、ロボットはね、あまり語れません。そんなに好きではないから。ロボットが出るものを作ってるだけ。ただ、アトムはロボットものではないが、全部が入っている。合体、変形、巨大。そういう要素が全部入っている。富野さんが18mのものを作ったから、僕は4m、というくらいです。
ボトムズはデザインが先にあって、それから話が作られている(参照、2017年1月28日の当ブログ)。
富野 アトムは確かにロボットものではない。しかし、ならば何故それができたか。それはこの地で敗戦を経験したから、それまで言論を抑圧されてきたけど、それが解放された。そこに流れ込んできたアメリカ文化。フルカラーで魅せられた大西部劇。また医学を学んできたインテリジェンス。そして宝塚のオネェチャンのエロティシズム。「この世界の片隅に」で表現されていたように、空襲のプレッシャーから解放され、そして東京に出て行くという向上心。これらのメッセージをアトムから感じた。それは、そこらの歴史の先生が書いた本より凄い。こういう点を、ただのファン心理で封じ込めてもらいたくはない。
Q、SFで描かれた未来が近づいた今は?
高橋 年のせいか、今の技術の進歩が、19世紀くらいの生活が落ち着くんじゃないか、と思っているが、止められないでしょう。気持ちの上で解決はできる。私も形を作る、という仕事をしているが、年があって、未来が描けない。答えられないよね。
Q、手塚先生に贈る言葉は?
富野 ありません。そういう質問はメディア的。先生は一マンガ家ではない、ということをお前ら分かれ、と。
高橋 生きてます、作り手やってます、人生やってます。
富野 そのフィーリングでいうと、先生から言われた「ルーティンで仕事をするな」と。ロボットものから脱出できなかったけど。
……質疑応答
Q、手塚先生はお二人のアニメを見ていた?コメントありました?
富野 そんなコメント言わない。マンガ家だから。
高橋 見てないんじゃないかな。会うたびに「今何やってるの?」と聞かれた。仕事場が高田馬場で、御近所だったから、よく会いました。人と一緒にいるときに話しかけられたりすると、尊敬されましたね。手塚先生と知り合いなんだ!って。
Q、80年代にお二人は交流はありました?
富野 あるわきゃない。見ないんだから。
高橋 ガンダムだけは全部見ました。ただ、ザブングルとダグラムは映画が同時上映だったので。舞台挨拶に立ったけど、白スーツの富野さんが出ると会場から大歓声。自分の時はシーンと。だから(作品を)絶対見てやるもんか、って。あ、嫉妬はしてませんよ、ええ。
Q、お二人はライバルですか?
富野 誰が思うかよ。
高橋 思ってませんよ。手塚先生だけです。徹夜で仕事して、床に倒れ込んで寝ると、隣りに手塚先生が寝ている。おかげで寝返りできないけど。
富野 一般論的なライバルはいません。仕事してれば、ライバルなんか気にしなくなります。
Q、注目している人は?
高橋 アニメは全然見ていません。文化庁の仕事をしているので、見てと言われたものを見ています。
富野 同じです。ただ、今は上げられる名前があります『君の名は』『この世界の片隅に』『ねむり姫(ひるね姫)』の三つ。作品の良いか悪いかは別!ただこの三つはアニメを超えて、リアルの評価になっている。時代そのものの。今までの言葉を全否定できるような言葉。映画の批評を超えている。宮崎のアニメを見てもこういう話はしなかった。時代が変わったなと。俺が映画を作る、と言えなくなったな、と。
Q、ご自分の故郷を舞台に映画を作りたい、とは?
高橋 企画は考えています。一年の三分の一は浅間で過ごしているのですが、そこで今まで全然やってこなかった動物たちのコミュニティの話がしたい。架空の動物の。
富野 小田原を舞台には作れそうだけど、土地が絡むと自分の体験でしか話がなくなって、初恋くらいしか思いつかない。初恋はいい思い出がないので。
Q、創作のエネルギーの源は?
富野 貧乏症で生真面目なだけです。
高橋 今の日常に憧れていたんですが、それができるようになったのはアニメのおかげです。そういう生活を先にしていた先輩たちが、最近亡くなられてきている。自分もあと何年、と思っているが、後輩がやりましょう!と言ってきてくれるのがモチベーション。
富野 羨ましい。自分には怖くてできない。私は机の前から離れられないから。
高橋 私はあなたが羨ましくないね(会場、爆笑)。
富野 生真面目にいいことはないです。みんな、富野ファンなんかやめろ!
Q、お二人に完全新作の予定は?
富野 ある!と言っても嘘なんです。個人では作れない。スタジオワークが必要。作りたい、と思っても作れない。思いはある。ロボットもの以外のものをやりたいという想いもある。死ぬまで。わかりません。
高橋 私にはロボットものはない。全然ない。もう充分。ただ、アニメとか作品をやらないということではない。
……今日はありがとうございました。
高橋 ありがとうございました。
富野 皆さん、お互いに今日話したことには気をつけて。簡単にへばるな。私も痛み止めの薬を飲んでいる。病気には勝てない。けど、みんなの応援があるから生きてるんですよ(会場、拍手喝采)。
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