北海道胆振東部地震から3年

2018年9月6日(木) 3:07に、北海道胆振東部地震が発生しました。
当時、札幌市東区に住んでおり、地盤の弱さから震度6弱の揺れに見舞われました。

あれから3年、今は大阪に住んでいて、大きな地震に見舞われることなく過ごしていますが、日本に住んでいる以上、いつ大きな地震が起きても不思議ではないので、あの地震のことを振り返り、自分なりの震災の準備について、まとめてみようと思います。

結論(準備しておくこと)※2022.03.17追記

まず、結論として、私が常に備えていることを箇条書きでまとめます。

  • 簡易トイレ

  • 手回しの懐中電灯、兼・ラジオ、兼・バッテリー

  • 飲料水(2リットルのペットボトルを10本ほど)

  • 生活用水(浴槽にためておく。ただし、排水管の破損の可能性もあるのでトイレには水は流さない)

  • スマホ充電用バッテリーをいくつか(手回しの懐中電灯にもバッテリーがありますが、それ以外でも数個)

  • カセットコンロ、米

とりあえず、私が常備しているものを先にまとめました。
ここから先は、地震発生後の経緯を記していますので、興味がありましたらお読みいただければ幸いです。

地震発生直後

前日には台風が通過し、その影響もあって、9月に入っても日中は25℃以上の夏日となる日もあった時期で、扇風機をつけながら寝ていたのですが、その中、急に大きな揺れに襲われ、目が覚めました。

本棚に入っていたものが床に落ちたり、扇風機が倒れてきたりしましたが、幸い、部屋の中には大きな被害もなく、怪我もありませんでした。
当時、ベッドではなく布団を床に敷いて寝ていたこともあり、もし扇風機が頭に向けて倒れてきていたら、頭部に怪我を負っていたかもしれず、今思うと、ちょっと怖かったですね。

職場では、Slackというチャットベースのコミュニケーションツールを全社で使っていて、地震直後に安否確認の連絡が来て、幸い、スタッフにはけが人もなく無事だとわかりました。

そのチャットの中で、地震で停電になることが多いが、マンションなどの場合、ポンプも止まって水を使えなくなることもあるから、水を溜めておいた方がいいよ、というアドバイスもありましたが、まだ揺れの直後で恐怖で体が固まってしまい、立ち上がることもできなかったので、少し落ち着いてから浴槽に水を溜めに行こうと思っていました。

その直後、停電してしまい、案の定、水も出なくなってしまいました。

外に出てみると。。。

家で一人でいても、余震の恐怖、不安しかなく、また、飲み水も余裕がなかったので、とりあえず近くのセブン・イレブンに行くことにしました。

あたりは停電で信号や街灯も消灯しており、真っ暗な中、懐中電灯で足元を照らしながら歩く人がちらほら。

お店の中も暗く、非常用の電気でかろうじて営業している状態でしたが、お酒の売り場では瓶が床に落ちて割れていたり、大変な状況でした。水や麦茶などはさっそく売り切れに近い状態でしたが、なんとか水を1本、買うことができました。

その後、家にいったん帰り、水を冷蔵庫(というより保温庫)に入れたものの、余震の不安などから眠ることもできず、一人だと不安になる一方なので、周囲を歩きながら明るくなるのを待ちながら、家族に連絡を取ったりしていました。

トイレが使えない

明るくなり、少しだけ恐怖が和らいだところで、家に帰りましたが、相変わらず電気が使えず、そのため、水も使えない状態でした。

そうなってくると困るのが、トイレ。特に、大の方です。

時間が経つにつれて、少しずつ便意を感じるようになりますが、家のトイレは使えないので、家から徒歩で行ける区役所、区民センターに行って、トイレを借りようとしたものの、そこも水を使えず、結局、家の近くのコンビニでトイレを使えるところがあったので、そこでトイレをお借りしました。

なお、朝になっても交通機関が止まっていたため、職場ではその日を休みとする旨、連絡を受けました。

携帯(スマホ)がつながらない

会社が休みで、家でインターネットも使えない状態なので、仕事をすることもできず、スマホで、4G回線でインターネットに接続し、ネット上の情報やラジオで情報収集をしていました。

しかし、しばらくすると携帯電話の基地局で予備電源のバッテリー枯渇により、インターネット接続や電話も使えなくなり、会社や家族との連絡、情報収集もできなくなってしまいます。

電気の復旧見込みや、給水所などの情報を入手するため、近くの中学校に開設された避難所に行きました。

避難所では、常にラジオを流してくれて、情報を入手することができ、また、市の職員の方とお話しすることで、地震の恐怖も少し和らぎ、本当に助かりました。

実家へ避難

避難所にいる間、奇跡的に電話がつながる時間帯があり、市内にある実家の家族に、避難所にいてとりあえず無事な旨、連絡しました。

すると、実家では水を使えるので、いったん実家に避難してきたらどうか、と声をかけてくれたので、ありがたく、言葉に甘えることにしました。

実家では、冷凍していたご飯を自然解凍して、冷たいもののご飯があったり、冷蔵庫に十分に食材もあり、食事をとることもできました。

そんなとき、近くに住んでいる妹が、カセットコンロがあり、鍋で炊飯できたとのことで、炊き立ての温かいご飯をお裾分けしてくれました。

おそらく、一生のうちで五本の指に入るぐらい、白米を炊いたご飯の美味しさ、ありがたさを実感したと思います。

困ったこと、助かったこと

ここまで、ズラズラと当時の出来事を書いてきましたが、困ったこと、そして助かったことを書いてみたいと思います。
特に、今は実家のある場所から遠く離れて生活しており、身の回りに頼れる人もいないため、色々と対策してみました。

1.水が出なくてトイレを使えなくなった
これが一番困ったことだと思います。
この時は運よく、近くのコンビニでトイレをお借りし、実家に避難したため、難を逃れましたが、自分で対処できることとして、自宅のトイレで使える簡易トイレを買いました。
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良くも悪くも独り身なので、数日間、なんとか持つと思います。

2.スマホを使えなくなった
スマホのバッテリーも消耗し、手元に充電用のバッテリーもあるものの、限りがあり、基地局の予備電源が枯渇することで電話やインターネット接続もできず、情報収集ができなくなってしまいました。また、夜に外出するときに、スマホの懐中電灯の機能も使っていましたが、スマホのバッテリー切れで、懐中電灯も使えなくなる可能性がありました。
それに対応するため、手回しと太陽光で給電できる、ラジオと懐中電灯が一体となったものも買いました。
モデルは変わっているかもしれませんが、緊急ソーラーハンドクランクポータブルラジオ、AM/FM、イヤホンジャック、LED懐中電灯、2000mAh電源バンクUSB充電器、SOSアラーム (Orange)と同等のものです。

3.飲み水の枯渇
運よく実家に避難して、食事や水分補給できるようになりましたが、あのまま自宅にいたら、飲み水も確保できず、脱水症状を起こしていた可能性もあります。
生活用水として使えるよう(体を拭いたりする程度ですが)、浴槽に水を貯めていますが、飲み水としては使えないため、2リットルのペットボトルの水を10本ほど、備えています。

4.食糧の枯渇
こちらも、運よく実家に避難できたため直接の問題にはならなかったものの、自宅にいたら深刻になっていたかもしれません。
そこで、缶詰やレトルト食品のほか、炊飯できるようにカセットコンロも買いました。

最後に

ここまでお読みくださって、ありがとうございます。

3年前の胆振東部地震は、生活に支障が出るほどでしたし、夜中の地震の恐怖でトラウマが残り、今でも、小さな揺れでも恐怖を感じてしまうほどですが、大きな教訓も得ることができました。

日本に住む以上、地震とは切っても切り離せないですし、地震以外にも、気候変動によって集中豪雨などの災害も、毎年、日本全国のどこかで起きるほどになっています。
※この記事を書いている今も、台風14号が接近してきているところです。

そのような災害で、ライフラインの電気、水道が止まっても、数日間、命をつなぐことができるよう、備えておくことが大切だと思います。

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