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【小さな睡蓮池の住人】

青く晴れ渡った広大な水田地帯。秋の収穫を終えた後の田畑は一面茶色のモノトーンな世界だ。その風景が目の前に永遠に続くような気がする程、この地の自然は深く、豊かである。畑の周りでは木々が色付き、燃えるように赤く染まった葉が風の後押しを受けて地に還っていく。終わりを迎えた命は循環し、やがてまた新しい命に息吹を吹き込む。小径をしばらく歩けば、今はもう晩秋の装いを見せる紫陽花の木に囲まれた原っぱが見えてくる。紫色、赤色、焦茶色、茶色、黄色、緑、黄緑と様々な色彩が織りなす背の低い紫陽花の木もまた趣深く、味わいのある美しさである。ワンポイントで烏瓜を纏う姿は愛嬌があり、見ていれば自然と時が流れていく。緑の原っぱの中にこの秋を象徴するような紫陽花の美がより一層鮮やかに見え、その奥には先ほどの広大な水田の暖色が彩りを添えている。色彩豊かな秋の木々が織りなす自然のキャンパスはいつでも賑やかで、それを美という感覚だけで一括りにするには余りにも短絡的だ。目の前に広がる風景の中の色に人はそれぞれ名前をつけたがるが、ひとつひとつの色彩はその瞬間にだけ生まれる唯一無二の彩りなのだからどの色も決して同じではない。森からの雨水が自然と湧き出してくるのは陽のあたる健全な森がある証しであり、豊かな生態系が育まれているということだ。小さな水の流れを辿れば、そこには小さな睡蓮の池がある。今は緑や黄緑の葉が色をつけて紫や茶色に様相を変えているが、季節が巡れば真紅色や可憐な白い華が辺り一面を華やかに覆い尽くす。小さな池には木造の遊歩道があり、その遊歩道は辺りの外観を損なわないようにシンプルな加工しかしていないようだ。池の周りには秋色を呈しているコナラの木が何本もあり、対照的に池の左側にはスギの林が青々と茂っている。池の水際は枯れ草で覆われており、自然が生み出したフカフカのベッドのようにこんもりしている。その枯れ草の中から聞こえてくるコオロギの鳴き声が風景を秋めかせている。夕方近くなり、やや薄暗くなってくると遠くでヒッヒッヒと冬の到来を告げるように深い青色のルリビタキがイボタノキを忙しそうに飛び回って、枝にとまっては上下に体を揺らして、尾羽でバランスを取りながら、はっきりとした鳴き声で囀り続けていた。その鳴き声は遠くなっても幽かに聞こえてくるような気がした。消えゆく、そして途絶えそうなものに対する哀愁のようなものを感じ、物思いに耽り、感傷的にならずにはいられなかった。そんなルリビタキの鳴き声が木霊している朧(おぼろ)げな夢の途中で、遊歩道の下に何やら小さなものが姿を隠すのが見えた。人は鳥類を探している時、何かがとっさに隠れるとそれを鳥類だと思い込んでしまう錯覚に襲われる。遊歩道の下を眺めようと身を屈めると小さな愛らしい顔が突然落ち葉の中から現れた。短い耳を立てて、顔の中央の黒くなっている部分にある2つの輝くように真っ黒な瞳で此方の様子を伺っていた。白く透き通った髭をヒクヒクさせながら、遊歩道の下から顔を出しては引っ込め、出しては引っ込めを繰り返している。その顔を出す隙間は少しずつ移動しているが見失わないように全神経を集中させた。落ち葉に顔が当たってやや大きめの音が出ると自分で驚き、慌てふためいている姿に愛嬌を感じない人はいないだろう。顔の出し方も1回1回異なり、真っ直ぐ出す時もあれば、首を傾げたように出す時もある。体を半分出したり、全身を出して遊歩道に登ろうと後ろ足で立ち上がったりとコミカルな一挙一動は心に安息の時間をもたらす。遊歩道に身体を委ねて、しばらくポージングし、またいそいそと動き始める。1分間に400回打つという心臓の鼓動が少し遠くからでも感じられるようだった。遊歩道に上がるとトコトコトコと端っこを器用に歩いて、やや短い尻尾を振りながら、水際の枯れ草の中に飛び込んだ。遊歩道の端っこには足に付いていた土がまだ残っていた。枯れ草の中に身を隠してから暫くその姿は見つからなかった。辺りを静寂が包み込み、水が流れる音以外は何も聞こえなかった。姿が見えなくなり、数分の出会いに感謝して、その場を後にしようとしていると水面が少しだけ揺れているのに気が付いた。静かな池の水面に一箇所だけ僅かに波がたっていた。身を下げて相手に気付かれないように近づくと枯れ草のベッドからそのつぶらな瞳がまたこちらを見つめていた。枯れ草の中を少しずつモサモサと進みながら移動していく。全身は見えないが時折頭だけを出したり、クネクネと柔らかい枯れ草のベッドを縫うように進んでいった。次の瞬間、真っ平らになった体を少しくねらせながら水の中を泳ぎだした。ゆらゆらと水面を這っていくような滑らかな泳法に何と名前をつければ良いのかまだ分からない。睡蓮の緑色の葉とオレンジがかった体色が対象的で美しい。水の中に潜って恐らくはウシガエルの幼体やザリガニを狙っているのだろう。水に浸かった姿はまさにずぶ濡れだ。体をブルブル震わせて水を弾く姿は愛しくもあり、また野性味に溢れていた。枯れ草の後ろ側にピョンピョンと音が聞こえてきそうなほど勢いよく飛んでいく様子は心に陽だまりを灯すようだ。消えては現れ、消えては現れを繰り返して、やがて本当に姿が見えなくなった。その可愛らしいオレンジ色の尻尾をフワリと回す姿が目に写って脳裏から離れないでいた。これが今年恐らく最初で最後のニホンイタチとの出会いだった。今までに出会ったどのニホンイタチよりも穏やかでいろいろな表情や仕草を見せてくれた。翌日は12月中旬を思わせる冬の冷たい雨が降っていた。あの小さな睡蓮の池での出会いはきっと自然が与えてくれた少し早めのギフトだったのだろう。目を閉じれば、漣(さざなみ)さえたたない驚くほどの静寂に包まれた小さな睡蓮の池で瑠璃色に輝く鳥が囀っている姿が見える気がした。

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