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女らしい、男らしい、男女と、    そうでない事と間に揺れる人々

他の記事の編集、修正の合間に ふと
書いてみる、NOTEの記事

大らかに なれなくなった世の中だと 感じる

もう少し 緩やかな論議が出来ないものか!
そう思う、「女らしい」「男らしい」の論議

別に 言葉が有っても良いだろう?ってのが 私の結論。
目くじらを立てるのは そこではなく!
そこを 無理に強いるのでなく、そこを人に合わせるに尽きる。

普通 男に「男は泣くな!」と いうのは良くないのか?ダメ教育なのか?
それは 分からない!
そこから 全部が始まるのか? そうなのか?

なら 女の子は「泣いていいのか?」泣き止まらない子がいて 
女の子だから 
泣いていい!では 収まらない

そんな時は どうして、言葉を掛けるのか?
それが 大事で そこから今の時代の 昔に無い、性別のあり方を示す
言葉のやり取りになる。

男は泣くな!と いいますが・・・

「男泣き」の言葉も あります。
子供時代は 女子に男子が 泣かされたり 
実をいうと 「男が 明らかに 勝てる状況なので 手を出さない」事も
あるし
実際に 女子が確実に強い場合もある。

しかし
中高、大人になれば 一般的には 女性は男性に 身体的に違いが出てくる
くるのだが
そこには 違いがあって 男が完璧に 身体的に凌駕する訳でもなく
出産などの痛みは 男には 耐えられないと 言われるほど
女性特有の男に無い「強さ」が 生まれ

ざっくりとした 「つよさ」の違いは
女子が「弱い」男子が「強い」で あるようですが そこは違う!
と言えます。

今の時代に 「女らしい」の言葉で
昔の型にはまった 「おんな」の表現を使うのは ナンセンスですが
女性らしい表現の一つを 全く使えない、使わない言葉にして
話が進んでいく そこはやめてもらいたい。

逆の「男らしい」も同じく
そこで 中世的な容姿、性別を ないがしろにしてしまう事ではない。
そうした二分した 二つだけではない事を知れば 良いだけの事で
生物などでは あるのだから
別に その事をしるために なにか今の時代に 壁があるのだろうか?

それを 時代の壁で 論議するのも おかしな話だ。
日本は 性に そこそこ、大らかな国と 言われているのでは?
その昔 男色とか あった事は知られている。

そこに別に 私は嫌悪感は あまりない。
全然 気にもとめていないし 今 様々な性に対しても さほど
いるんだな(・∀・)~~~~~~と いう感想。

いたってノーマルなので 同性に 猛烈アタックされても正直 
拒絶してしまうが、
そこは 別に違う世界の 「ニューワールド!!!」に行くつもりはない!

今までの ある一定の年代にあった価値観の「男女」らしさ
それは 考えるべきである。

ただ 女性らしさ、男性らしさ はあっても良い

女性に スカート履いていて
それを全く気にせずに 股を開き 振舞われてしまうと こちらも困る。
そこは スカートを着こなす 「らしさ」が必要で

それは 男がスカート履いても 同じに 
そこに 女性らしさが伴っていなければ 明らかに 「男」と認識して
違和感を抱くだろう。

宝塚も 同じように 男女のらしさが 無いことには 成り立たない。
女性の整った顔立ちに 「男性を 作りかたどった容姿」が 
得も言われぬ(えもいわれぬ)世界観を生み
歌舞伎なども 女方は 形の表現のなかに 女性を生み出す動きがある。

そうした様式美があることを 全部捨てるのか?

子供に 「男の子だから、・・・・」という事が悪ではなく
時には「泣いてもいい」と 許してあげる。
抱きしめて不安感を 癒してあげる、そんな時に しがみつくように
強くしては 興ざめ、である

そっと 抱きかかえるように 寄り添ってあげるような抱きしめ方で
なくては 
要の部分には 「らしさ」を必要としない

そこの分かってあげる心が ないのに
「男らしい」「女らしい」だけで 論議している。

女性だって 負けられない強さは 必要だ。
女性らしくないと言えば 語弊があるかもしれないが
男性に負けない強さがあって「突き進む強さ」が「らしさ」の言葉で
余計な 障害を生む軋轢も あるでしょう。

そこは もちろん「らしさ」の悪い使い方で あって
「らしさ」を否定しても 仕方がない!言葉遣いの間違いで
その使う人の あり方の問題で その人の品位の問題。

価値観の問題点と 言葉遣いの「~~~らしさ」ではないと思います。

多様な性があり
多様な心もあり
多様な価値観もある

そこを 言葉狩りをしては いけないし
論議を そこ時点で 留める事に成りかねない、陳腐な話で終わらせる
ちん‐ぷ【陳腐】
古くさいこと。ありふれていて、つまらないこと。また、そのさま。陳套(ちんとう)。

つまり 結局は 女性らしさは あるし 男性らしさも 表現である。
そこに あまりにステレオタイプの押し付けは ナンセンスだが
そこは センスが無い人であるから
別に それを攻撃したって 目くじら立てたって
なにも 生まれませんよ!

逆に言えば この記事の内容だって
ありきたりの、あの論議を つまんない事、喋ってんな( ̄д ̄)

傍観している人の 他愛もない話

そんなNOTEの記事である。
「らしさ」は、ある一定の基準にもなる。その基準は大らかな 寛容ある心
が なければ 基準のせめぎ合いを生む
なんで 「らしさ」に そんなに拘る?

女性らしい服装 その価値観が あってもいいだろ?
それを どう選択して 言葉に意味を持たせるかの その人が問題であって
女性らしい服装、振る舞い、仕草は あるのだから 

その逆もある。

読んでいただきありがとうございました。 また 読んでいただければ 幸いです。 サポートの御代は 今後何かを 製作する時に使います。