2020年版、立憲民主党と国民民主党の党史についてザックリ分かる

今回は立憲民主党国民民主党の党史、成り立ちについて解説していきたいと思います。

以前にも解説しておりますが、動きがありさらに細かい部分も追記して見ましたので、
最近行われた合流話もスッキリ理解できると思います。最後までお付き合いお願いいたします。


立憲民主党国民民主党、その二つの党は以前は民進党という一つの党で、さらにその前は民主党という名前でした。
どのような経緯で名前が変わり、分裂していったのか?

栄華


まず2009年の選挙までさかのぼります。そのころ『民主党』という政党があり
衆議院選挙の際に民主党が大勝利、議席数の2/3が民主党議員という状況になり、
政権与党の座を自民党から民主党が奪還、いわゆる政権交代が起こりました。

分裂


しかしその後の政権運営が思うようにいかず、
子ども手当として2万6千円給付するとしていたのが出来ず、逆に幼児手当1万3千円が廃止になったり
高速道路無料化にするとしていたのが出来ず、逆に土日祝日の高速道路料金上限1000円が廃止になったり
そして当時の野田首相が消費税増税はしないとしていたのが、 「消費税増税に賛成するなら解散する」
という条件を出して
2012年に解散総選挙がなされることになりました。

その前後、民主党の一部議員が民主党を離党し、みんなの党や、橋下徹氏率いる日本維新の会に合流していました。
そして2012年の衆議院選挙の結果は惨敗。前回は308議席だったのが離党者がいたとはいえ57議席
一気に1/6にまで議席数を減らしてしまいました。

合流


その後、みんなの党に入った旧民主党議員が『結いの党」に分裂。「結いの党』と『日本維新の会」が合流し、『維新の党」を結成します。

またその後、維新の党の中で分裂し、旧民主党議員たちが「日本維新の会』、橋下派の議員が『おおさか維新の会』に分裂し、日本維新の会民主党が合併し2015年に『民進党』という新しい党に
なりました。

ちなみに『おおさか維新の会』はその後「日本維新の会』に党名変更しています。

また分裂

そして選挙が近づいてきた2017年、民進党の幹部は東京都知事の小池百合子氏率いる『希望の党」に合流する調整をしていました。
しかし、小池氏側も全員を受け入れるつもりはない、リベラルは排除するとい
う方針を発表しました。
それに対して、枝野幸男氏が小池氏の排除発言を批判し、一部の民進党議員と
新たに立ち上げたのが『立憲民主党』となります。

当時の小池氏は東京都知事という立場とすごい人気と支持率があったのですがその小池さんと対立した、人気や権力に流されず自分を貫くイメージが生まれて結果的に55議席を獲得、立候補者のうち約7割の勝率で野党第1党に返り咲くことができました。

一方で民進党議員が合流した希望の党はどうなったかというと、その排除発言と連合の支持受け入れを行ったのをきっかけに一気にマスコミからネガティブ報道をされてしまい結果300もの立候補者に対して50議席、立憲民主党より少ない当選者数になってしまいました。
また、立憲民主党にも希望の党にも合流せずに無所属になる議員も一部いました。

※補足
当時の状況については、自民党は『公文章偽造問題』が発覚し党内外でもめて
おり、小池氏は東京都議会選挙で大勝利を挙げていたため、このまま小池旋風
が吹き続ければ自民党を超える第一党になれる可能性がありました。
「そうなると党の代表である小池氏が総理大臣になることが出来ます。
ただ、そのためには自分も選挙に出なければならず、そうなると東京都知事を辞めなければならない状況でした。
小池氏は逆風が吹き始めているのを感じて立候補しないことにし、都政に集中するとして離れてしまったことも支持が落ち込んだ原因でもあります。


翌年の2018年、野党再編の流れが来て希望の党立憲民主党で合流をしないか打診をしますが枝野氏が拒否したため、希望の党を解散し『希望の党』と『国民党』に分かれます。
その後、国民党参議院の一部民進党議員が合流して誕生したのが『国民民主党」となります。
その後『希望の党』は細々と活動を続けていましたが、現在は政党要件を満たせず政治団体となっております。

また合流


そして2020年8月、国民民主党立憲民主党と合流賛成派の『民主党』と合流反対派の『国民民主党』に分党し、立憲民主党民主党を受け入れるため解散しました。
なぜ立憲民主党も解散したかというと、元国民民主党議員のうち小選挙区で当選した議員は別の党に合流できますが、比例代表で当選した議員は離党はできても他の既存の党に入ることはできません。
そのため、立憲民主党も解散してまったく別の『新党』を作る必要がありました。

そうして元立憲民主党議員と民主党議員が集まってできたのが新生『立憲民主党』となります。
国民民主党はそのまま新生『国民民主党」となりました。


2020年の合併についての考察


当初、立憲民主党は国民民主党を『吸収合併しようとしていましたが、国民民主党の玉木代表が拒否し分党に落ち着きました。
これは立憲民主党側の意見として、自民党一強を破るには野党再編ししなければならずそのためにも全員合流を希望してましたが、
国民民主党の玉木代表は、政策が一致しないと後々もめることになるから話し合いをしたい。との主張でした。
結局話し合いは行われず、国民民主党内部にも合流派と合流拒否派がいたため分党することになったようです。
これに対し、玉木氏の決断力のなさを批判するツイートが立憲側からはもちろん、国民民主党員からも飛び交っており、
玉木氏が国民民主党を分裂させる発表をしてから急に、玉木氏へのネガティブキャンペーンが始まったように見えます。

なぜこれほど玉木氏が話し合いにこだわったかというと、2017年の民進党から希望の党への合流の際の「リベラルは排除」発言の通り、
立憲民主党はリベラル、左派的な立ち位置となっており、中道を目指している玉木氏とは折り合いが付かないのではないかと思われます。
他にも、立憲は消費税増税派(選挙の時だけ減税派に変更) 、国民は消費税減ため、合流前に確認をしておきたかっただけかと思います。

また、立憲は2017年に新しくできた政党で、国民は民主党の流れを汲んでいる政党になります。
つまり、民主党時代からの繰越金が50億円ほどあるので、立憲民主党はそれを狙っていたという見方もあります。


どちらにしろ今後の選挙では、
立憲民主党は今まで通り左派的な有権者の指示を狙うため大きな変化はないと思いますが、
国民民主党は無党派層と消極的自民党支持者を新たに狙いに行かなくてはいけないため、しばらくは厳しい戦いになると思われます。

主観のため『思われます』ばかりで申し訳ありません。


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