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小説『愛子の日常』 本編10

〜はじまりの物語〜

あれから4年後、セントは再び日本にいた。


「オギャー オギャー オゴー」


「やっと産まれた!」セントは立ち上がった。


「この声は、確かに自分の娘の声だ!」(果たして自分の娘が本当に産まれたのかどうか、その事実はまだ分からなかったが、そうとしか考えられなかった)


名前はもう決めていた。『LOVE』だ。(日本語で『LOVE 』って何て言うんだろうか・・・?!)


セント30年(AD2048年)7月6日、セントとさやかは結婚をし、それから2年後の3月、一人の女の子が産まれたのだった。

「ねぇ、名前はもう決めてあるんだけど・・・LOVEって日本語で何て言うの?!」

「LOVEは『愛』って言うんだよ!」

「AI?」

「そう!あい!」

「じゃあ、この子の名前は『AI』だ!」

「じゃあ、こうしよう!日本では女の子には『子』ってつけるのが一般的なの!だから『愛』に『子』ってつけて『愛子』どう?!いい名前でしょ?!」

「AIKO?!・・・いいね〜。いい名前だ。」

こうして、セントとさやかの娘「大西愛子」は産まれた。「トーマス」ではなく「大西」という苗字を選んだのもセントなりのこだわりがあった。

セントには、トーマスというクリスチャンの家系に産まれたが為に、宗教に苦しめられて生きなければならなかったという過去がある。

愛子には自分とは違い宗教に縛られない人生を歩んで欲しかったし、そういう家系に産まれるような運命に変えてあげたかったのだ。


セントは愛子が産まれてから、誕生の祝いに何かプレゼントを送ろうと考えていた。

人生を30年ちょっと生きてきた経験も活かしながら、今まで触れてきた世界観や価値観を総動員して、この世の中で一番愛子に相応しい物を贈ってあげたかった。

プレゼントを選ぶのにそんなに時間はかけられなかった。愛子とさやかが病院から出てくるまでにはプレゼントを選び、愛子が初めて我が家にやってくる時に合わせてプレゼントを贈りたかったからだ。

セントは自らの固定観念を捨てようと努力した。
親や家系の愛子に対する勝手な思いが、愛子にとってしがらみとならないように、どちらかというと斬新なプレゼントを愛子には贈りたかったからそのようにした。

悩みに悩み抜いた末に、セントはククサという木製のコップを誕生祝いに選んだ。
なんでも、北欧ではこのククサを贈られた人は幸せになると言い伝えられているらしい。

このククサの材料は、フィンランドやスウェーデンなどの北部であるラップランドの厳しい自然の中で育った白樺のコブであり、一つ一つ木目や質感が違い同じコップは二つとない事が魅力だった。

しかも、ラップランド地方に住むサミー人達が、一つ一つ祈りながら作っているというなんともロマンチックなコップだ。


しかし、一つ問題もあった。サミー人達が祈る祈りとは、その民族が信じるある種の宗教的な祈りであるという事だ。宗教嫌いのセントなら直感で勘づいたことだろう。

それでも愛子のプレゼントにそのコップを選んだ。

それはセントが固定観念を取り除いて行き着いた答えでもあった。

そこには何千年何万年という歳月が流れ、宗教が人々に人生の豊かさを生み出している事は事実として受け入れざるを得なかっし、セントはそれを尊敬していた。

なるほど、サミー人達のように他の社会から離れた地域で、一つの宗教を持って生きる人たちは本当に幸せなのかも知れない。

愛子にはそうした宗教の良い部分も悪い部分も、世界を構成している一つの要素として理解し味わってほしかったのだ。



愛子が生まれたことはセントの人生にとって大きな変化だった。一方でセント自身も日本に来て愛子が産まれてから大きな決断をする事となる。

(それがきっかけで物語は大きく動いていくこととなる。)


セントは日本に来てから人類の歴史を見つめるようになっていた。

この2000年間、キリスト教の影響を受け人類が築いてきた近代化の歴史は、今やもう古いものとなり退化の歴史を辿っている事をセントは見抜いていた。

果たして、争いの絶えない現代社会を見る限り、キリスト教はそして近代化は本当に正しかったのか?と疑問に思うこともあった。

物質の豊かさは、(少なくとも近代化した社会においては)世の中に溢れている。しかし、精神文明は衰退し、現代社会では自殺も後を絶たない。

セントはそんな世の中のど真ん中で生きるなかで、自分に何か出来ないか本気で考えていた。

もちろん、セントは生活をする上でお金も必要だった。愛子が生まれた事で、それはより一層切実な問題となっていた。

さやかは私が働くからと言ってはくれていたが、セントも何もしないわけにはいかなかった。

なんとかテレワークで、日本にいながらも英語を使って仕事ができないかと試みたが、それは難しかった。

家事や育児は自分がやるにしても一生育児がある訳でもないし、日本にいて何か自分に出来ることがないかと思い悩んでいた。

そんなある日、セントは散歩をしながら閃いた。

「生まれてきた娘を題材に小説を書こう。題名は『愛子の日常』でどうだろうか?」

これがもう一つの『愛子の日常』という小説が書かれた始めたはじまりだった。

セントはこの小説を通して、お金を稼ぎたいという思いもあったのだが、何より人々が健全な良心を育むきっかけになってくれればと思っていた。"人類の進むべき道"を示すのではなく、人々の良心を育むことで、良心が人々を導いてくれると心から信じていたからだ。

『根っからの宗教嫌いが書く、何か心が洗われ、良心に響くようなストーリー』それがその小説のコンセプトだった。

・・・こうして、セントによる愛子の育児日記かとも思える物語が書かれたのだった・・・ << 続く >>


【お知らせ】
皆様のご愛読もあり、無事に第一話を完結させることができました。本当に感謝しています。

さて、第二話への期待が高まる中で大変恐縮なのですが、物語の投稿をお休みさせていただきたいと思います。理由は、今の私の人生経験ではこの物語は書き切れないと思ったからです。
少しブランクは空いてしまいますが、どのような形であれ、この物語は完結させようと思っていますので、しばらくの間お待ちください。
皆様とはまたこの物語を通してお会いできる事を楽しみにしております。

p.s とはいえ、愛子がどんな子に生まれたのか気になる方もいるでしょうから、来週第二話の予告だけ流します。それを見て、また会える日を楽しみに待っていて頂ければと思います。

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