自殺なんかしちゃ駄目だよ!・・なんて言うのは、あなたの思い込みです。
軍師官兵衛が秀吉様を、山の頂まで案内する話。
殿~、敵はあちらに陣取っております。
我が軍はあそことあそこ、みんな好き勝手にいつ使うか判らない刀を一生懸命に磨いております。
今、太陽の位地はあそこでございます。
日没まであとこのくらいでございます。
我が軍はバラバラで、敵軍もすぐそこに迫っております。
軍師官兵衛は頂に登って、そこから戦況を秀吉に説明してるんですね。
秀吉は、ふむふむ・・って納得しながら麓を降りて、また刀を一生懸命に磨きだすんですね。
死ぬでしょ、秀吉。(笑)
前振りはこれくらいにして・・
何故だか、僕のところには「自殺したい」なんて言ってくる人が時々現れます。
僕が初めてインターネットで検索したワードは、「自殺 気持ち」でした。
もう20年くらい前のことですね。
自殺したい人って、何かしらの理由がありますよね。
借金苦とか病気だとか、虐められてるとか。
そういう理由があるなら少しは理解はできます。
でも、なんの理由もないのに死にたい人・・
そういう人の気持ちを知りたくて、「自殺 気持ち」と検索しました。
自殺志願者が集まるMSNのチャットだったかな?
SNSじゃないですよ、MSN?
忘れちゃったけど。。
チャット部屋に辿り着いたんですよ。
そこには、自分の死ぬタイミングだとか、死に方くらい自分で決めたい・・なんて人がいっぱいいて、
毎日、その部屋に入って僕もチャットしてましたね。
ネット環境が今とは違うので、チャットだけでしたけど。
自殺したい人たちと何気ない会話をしてました。
ほぼ毎日、一年くらい続いたかな。
ある人の言葉が印象に残っています。
「いつも井戸の中から見上げると、綺麗な満月が見えるみたいな気持ちだよ。」
なんか「貞子」みたいです。
もしあなたなら自殺願望者とどんな話をしますか?
特に理由もないのに死にたいと思っている人と。
普通の人とは明らかに違いますよね。
理由もないのに死にたいって。
世界が違います。
僕たちの見えている世界と、彼らが見えている世界がね。
彼らが見えてる世界、考える世界を僕たちは知らないんだから、
判ったような口ぶりで、「生きていたら良いことあるから自殺なんかしちゃ駄目だ。」・・なんて言ったら、
次の日、彼らは皆な死んじゃいますよ。
ただでさえ、この世の中には自分の居場所がないみたいに思ってる人に、
追い打ちをかけるようなもんですから。
クライアントの悩みの根源は、思い込みだったりしますけど、
カウンセラー側の思い込みってのもありますからね。
自殺しなければきっと良いことがあるよ・・そんなこと誰にも判りません。
そんな思い込みをクライアントに押し付けているだけです。
人とのコミュニケーションにおいて、相手の世界を知るって基本ですよね、
自殺願望のある人に対しても、それは同じで、
そもそも、自殺を止めるなんて考え自体が、彼らを更に孤独にさせるのかもしれない。
自殺が是か非か?
この世でいくら考えても判らないと思います。
少なくとも一回死んでみないと、この答えに辿り着くことはないでしょう。
あなたはあなたなりの答えを持っているかもしれない。
でも、それは思い込みです。
自殺が是であっても、非であっても、
どちらにしても、それは思い込みです。
正反対にいる人にも強い思い込みがありますから、
それを説得するなんてことは容易じゃないですよ。
あるコミュニティの中で、時々戦争や政治に関しての投稿を目にします。
例えばこんなふうに、
「日本はあの過ちを決して繰り返してはならない・・」
僕はそれを見てとても薄っぺらく感じてしまいます。
視点が低いから。
どっちを選ぼうが、最良のことがあるかもしれないし、最悪のことがあるかもしれない。
あの当時、日本が違う選択をしていたら原爆も落とされなかったかもしれないし、
東京大空襲もなかったかもしれない。
でも、違う可能性もあったでしょう。
もしかすると、日本という国は存在していなかったかもしれない。
原爆で命を落とした人は生きていたかもしれないけど、
もしかしたら、僕たちは今存在していないかもしれない。
どっちの道へ進めば良かったかなんて、誰にも判らないんです。
政治で言えば、右か左かなんですけど、
右の人も、左の人も、思い込みです。
どちらの人も、そう思い込んだ理由があるのかもしれない。
自殺が是か非か・・と同じですよ。
自殺したいと思うようになった幼少期の体験がある。
自殺したいと強く思い込んだ何かしらの原因が、無意識の中に存在する・・
あなたが心理カウンセラーなら、クライアントの過去をずっと遡って答えを見つけようとしますよね。
でも、その前にですよ、
カウンセラーであるあなたが、クライアントの悩みを高い視点から見つめることができていますか?
あの戦争に是も非もありません。
自殺することに是も非もないんです。
体罰に是も非もあるわけがない。
人類存続のために出る杭は打たれる、いじめは正義なのかもしれない。
誹謗中傷は許さない!って叫ぶことも必要かもしれないけど、誹謗中傷する側の人たちに寄り添うことが必要かもしれない。
理由もないのに自殺したいって人に対して、
生きていれば良いことが必ずあるから死んじゃいけない!・・・
それはあなたの思い込みです。
あなたは高い山の東側のふもとにいる。
クライアントは、反対の西側のふもとにいる。
同じ次元でどっちが正しいか間違ってるか・・なんて判るはずがない。
2人で山頂を目指して、そこからの眺めを2人で見渡して、
どちらの世界にも何かしらの可能性があるんだってことを理解してもらわなきゃいけない。
もちろん、あなたも理解した方がいい。
先ずはそれからですよ、こちらの世界もどうですか?って言うのは。
もしも、その過程を吹っ飛ばして、あなたが正しいと思い込んでいる世界にクライアントを導こうとしているなら、
それがどれだけ傲慢なことなのかを知ってください。
どんなに高くまで登ろうと、山頂までたどり着けなければ、反対側の景色は絶対に拝めない。
もしかしたら、その山頂には永遠にたどり着けないのかもしれない。
3次元の世界に住んでいる私たちには、決して辿り着けない山頂・・
自殺が是か非か?
だから尚更、あなたのその傲慢さが仇になるんです。
この世で幸せに暮らしていくためには、この世の常識とか、この世の価値観というものが少なからず必要かもしれません。
誰でも色んな思い込みがあると思いますが、
それがその人にとって都合の良いものなら幸せですよ。
わざわざ頂きに登って全体を見渡す必要なんてない。
人生は誰のものでもない、自分のものです。
でも、
もしその思い込みがネガティブなものであったなら、
頂きまで登ってみることです。
あなたは使うかどうか判らない刀を、いつまで磨き続けるんですか?
それも、山のふもとで。。
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