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体重を半年間で30キロ落とした。

1ヶ月換算で5キロ減、合計で赤ちゃん約10人分の重量を減らしたことになる。
そもそもどこにそれだけの重りを付けていたのか、自分でも疑問である。

きっかけは大学入学のタイミングだった。
中高6年間男子校で育ったため、異姓との交流はほぼ皆無、自分の外見のことなど全く気にかけず、好き放題怠惰な生活をしていた。中学入学時は60キロ(この時点でまず肥満である)、高校卒業時は90キロを超えていた。部活後に何か食べ、塾の前に何か食べ……常に何か食べていた。
おかげで当時通塾のために使用していた、千代田線新御茶ノ水駅の長いエスカレーターを登るだけで息切れしていたほどだ。
さて、そんな怠惰男子が入学した大学はどうだろう。華やかなキャンパス(後に幻想と知る)、何より異姓がいるということに驚いた。……が「お前のその外見じゃ、まず彼女はできないな。趣味が食べることじゃ、痩せるのも無理だろう」と言われ、叩きのめされた。
悔しかった。痩せようと思った。彼女が欲しかったからかもしれないが、それ以上に「痩せることができない」と決めつけられ、見返してやろうと思ったことが原動力になったのかもしれない。
思うのは簡単だが、実行に移すのは難しい。
ダイエットに挑戦した人なら、出だしがキツイことは百も承知だろう。マラソンだって走り始めが一番辛い。何度、今日は自分へのご褒美で家系ラーメン大盛り食べようか……と思ったことか。

だが、想いはたった一つだ。「見返してやれ、自分を変えてやれ、でなければ、お前は一生自分にも他人の決めつけにも負け続けたままだ」
ただの根性論である。しかし最後、土俵際で粘れるのは、想いが強い方だ。
自分を戒め続けろ。自分の中の、怠惰な自分が最大の敵だ。自分に打ち勝て。
肝心のダイエットの内容だが、きわめてシンプル。
食事制限と、有酸素運動、これに尽きる。
はじめは二日に1回のジム、その内毎日になる。やる気が湧かなくても行く。行ったらその内勝手に湧いてくる。なぜなら、ジムには同じように自分と戦う同士がいて、見ていると自分も刺激されるし、何より一連のトレーニングは油断すると怪我につながるので、真剣になるためだ。
体重を落とすまではフルーツと野菜主体の生活、有酸素運動は1回で10キロ以上のランニング。
体重を落としてからは、肉も加え、筋トレをメニューに組み込む。
1ヶ月は成果が出ない。そこが峠だ。越えれば、みるみる成果が出る。
成果が出ても、油断することなく続ける。むしろギアを上げる。手段が目的になりつつあっても
メニューを妥協してはならない。
自分が変われば、世界も変わる。

まず服のサイズがXLから、L、Mへと変わる。こんなに自由に服が選べるのか。
焼肉屋に父と一緒に行って、ビールとお茶を注文してどちらかと聞かれるのに、ご飯の大盛りと普通盛りを頼めば、自動的に自分の前に来ることがなくなる。
電車の椅子が広い。
太り過ぎで一重になっていた瞼が押し上げられ、二重になり、文字通り見える世界が変わる。

今、様々なスポーツが中止され、日々悶々と過ごしている人は大勢いる。
私にとって、スポーツとは「自分との勝負」だ。
この機会に、勉強ができない(と言われている)人は、徹底的にやり込めばいいし、痩せたいと思っている人は、あらゆる運動器具を購入して、自宅をジム化すればいい。
自粛期間が開けた後、ドヤ顔で飛び出し、進化した自分を見せつければいい。
むしろ誰とも会わない今がチャンスだ。
見返したいと思っている人はいないか? その人が怠惰な生活を送っている間に、自分は変わればいい。
自分との戦いに挑む、すべての人にエールを贈りたい。人は、なりたい自分に変われる。

体重が落ちてから、7年が経過するが、未だにリバウンドはしていない。なぜなら、「どうせ元に戻るだろ」とさらなる決めつけがあったので、そのことも忘れていないからだ。

他人が決めつけた自分を、自身の想いで打ち負かす。