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仏教に学ぶ生き方、考え方「華は咲く」

 仏教では「行い」というものを次のように例えられます。

 例えば自分の心を「大きな岩」と例えるのです。

 仏の教えを一回聴いてもなかなか大きな岩は動きません。

 でも何回も繰り返し聴いていくうちに少しずつ岩が小さくなり、「砂利」になってついには細かい「砂」になる。

 一旦砂になって「自由に」形を変えることができる心は、もう岩には二度と「戻らない」という考えです。

 これは「お聴聞」や日々の「行い」を繰り返していくことの大切さを表しています。

 でもこの例えはちょっと「途方も無い」ように聞こえませんか?

 なかなか岩が動かないかもしれませんし、砂になるまでに「時間がかかる」人もいるかもしれません。

 でもそんなときにはこのように考えてみてはいかがでしょう?

 今日何か仏教に関わる行いをしたら、「小さな花」が咲くと考えるのです。

 最初は小さい花がひとつなので、遠目に見てもわかりません。

 でも自分の心は一つでも花が咲くと「嬉しい」ものです。

 そして明日にはもう一つ、明後日にももう一つ、、、と少しずつ花を咲かせていけば、やがて心という山全体ががきれいな花で「咲き乱れる」と考えてみるのです。

 これはあくまで考え方ですので、どちらでも「イメージ」しやすい方を使ってもらえたらと思います。

 要は毎日の「ちょっとした」行いにこそ、「仏心は育っていく」ということがわかっていただけたら幸いです。


☆今日の一句☆

 一輪から
    仏の華を
       咲かせよう

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