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仏教に学ぶ生き方、考え方「低所得」

 世の中はどうやら「所得の多さ」で人間の「価値が計られる」風潮があるようです。

 長者番付の上位の人は、みんなから「羨望の眼差し」で見られたりします。

 でも仏教的には、財産の多さと幸せは「比例しない」のです。

 むしろ、財産が「少ないほうが幸せ」な場合も多いのです。

 なぜなら、人は自分の命が終わるときに「すべてを手放さなければいけない」からです。

 つまり人は必ず手放すものに、「人生の大半を費やして」毎日を送っていると言ってもいいでしょう。

 そして残された「遺産」を、親族が「骨肉の争いで取り合うこと」は珍しくありません。また「相続税」で国に「ごっそり」持っていかれたりするのです。

 また命終わる間際まで、「遺言」だとか、「遺産の面倒」まで見なければいけないのは大変だと思います。

 唯一幸せなのは、命終わる間際まで「自分は死なない」「自分は成功者だ」と思い込んでいることでしょうか?

 真宗の開祖である「親鸞聖人」は関東での布教を終えて京都に戻られたときに、懐がほとんど空っぽでした。なので弟の家に「居候」しながら、執筆活動と布教を行ったのです。

 そこでしたためられた「教行信証」をはじめ、数々のお書物は「八百年後」の私たちにも届いているのです。

 そう考えると「低所得」であっても、人々に「生き方」を財産として残すほうが遥かに「有意義」だと感じています。


☆今日の一句☆

 残された
    生き方のちの
         世のひかり

 


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