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ほとけさまのおしえ「四苦八苦」

 仏教では「人生は苦しみである」と説かれております。

 まさに人の一生は「四苦八苦」であり、苦しみのない人生などあり得ません。

 「そんなことはないですよ~ゴールデンウィークも楽しく過ごしていますよ?」という声が聞こえてきそうです。

 でもそれは「未だ苦しみを感じていない」か、「苦しみを楽しいことで紛らわせている」か、「苦しみを見てみないふりをしている」のかのどれかに当てはまるのではないでしょうか?

 普段の心がけでいささか「心を軽くする」ことはできますが、煩悩がある以上「完全に」苦しみから逃れることはできません。

 そんな私たち凡夫にできることは、できるだけ「知らんぷり」をすることか、すべてを「お任せする」ことだけなのです。

 さて苦しみには大きく分けて四つあると言われております。

 それは「生老病死」であり、すべての人はこの苦しみを受け入れていかなければならないのです。

 ここで一つだけ違和感のあるものがあると思いませんか?

 それは「生苦」です。

 生まれることは「嬉しくめでたい」ことであり、「生きることは楽しい」ことですよね?

 でも仏教ては生も苦しみと捉えます。

 それは「思い通りにしようとしても、思い通りにならない」ことだからです。

 生まれる環境も、性別も性格も容姿も資質も生まれる時に選ぶことはできません。

 たまたま、自分にいただいたものであり、自分でどうこうしようにもできないことも多いのです。

 また生きていくことも、思い通りになることは少ないでしょう。

 お金持ちになっても詐欺にあったり、幸せな結婚もギクシャクしたりすることもあるはずです。

 つまり、生まれることは「すべての苦しみの始まり」であり、それを受け入れる事が定められているのです。

 でも思い通りにならないことを思い通りにしようと「しなければ」苦しみはなくなったり軽くなったりするでしょう。

 苦しみの元になることは「なくならない」けど、心の中に渦巻く苦しみを「抜く」ことならできそうです。

 それが仏教の教えであり、「抜苦こそ」が本当の役割になると思っております。


☆今日の一句☆

 苦しみは
    そのままあるも
          抜く教え



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