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仏教に学ぶ生き方、考え方「お葬式の主役」

「お葬式の主役」

 お葬式があるたびに感じることがあります。それは「お葬式って誰のためにするものなんだろう?」ということです。お葬式の主役は一体誰なんでしょう?こんなこと普段はあまり考えませんよね?でもなぜかそういうことが気になり、気になるといろいろ考えてしまうんです。(昔、地下鉄の電車はどこから入れたんだろう?って考える漫才がありましたよね、、、)

 まず真っ先に思い浮かぶのは故人様です。確かにお写真も飾られているし、みんなの前で拝んでもらえるし、司会の方にお名前も読んでもらえるので、主役の条件にばっちり当てはまっています。

 でも、真宗ではなくなった方はすぐに極楽浄土に生まれるとされていますこれを「即得往生」といいます。極楽浄土はとても遠いので、行かれたらもう帰ってくることはありません。ならば、主役である故人様ははるか彼方に離れているのでは?そう考えると、わたしたちが主役と思っているものは、実は主役の人が残してくれった思い出だったり、言葉だったり、生き方だったりするんではないでしょうか?

 つまり皆さんの心の中に思い出として残っている故人様と向き合う大切なひとときですよね。そう考えると出席された皆さん一人ひとりの中にこそ大事なものがあり、皆さん一人ひとりが主役ということになります。

 亡くなられた方が最後に皆さんに残していかれるもの、それは「すべての命には限りがある」ということです。今まで何百年も生きたという人を見たことがありませんよね?年月の長短はあれど、必ず最後が訪れること、これをいつも心に留めながら生きることで、より一瞬一瞬が光り輝くものになります。また今まで大切だと思いこんでいたものが、「実はそれほど大切ではない」ということも気付かされます。この世で大切にされていることの殆どは「実はこだわるほどのものではない」ということを感じられるはずです。

 先ごろ、瀬戸内寂聴さんが亡くなられました。九十九歳まで生き、最近まで「好きなものはステーキ!」といいながら食欲も旺盛だった寂聴さん。若いときにはいろいろな経験をされ、その経験をもとに一九七三年に五十一歳で今春聴大僧正を師僧として得度されました。寂聴という法名をいただき、すっぱりと剃髪をされて仏門に入られたのです。その後も晩年まで情熱を絶やすことなく、たくさんの方に生きる意味を投げかけられたまさに僧侶の大先輩です。

 その寂聴さんが仏門に入られた意図を問われて、それまでの生活と比較されて「身体的にはいろいろな束縛がふえたけども、一番重く感じていた心がとても軽く自由になったんです。」とおっしゃられていました。

 仏教には生きていく上で、大切な考え方がいっぱい詰まっています。それを学んで、心を自由に軽やかにしていくこと、その主役は紛れもないあなた自身ではないでしょうか?

 ☆今日の一句☆
  人生の
    主役はあなた
         軽やかに


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