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仏教に学ぶ生き方、考え方「差別はいけないということ」

 最近はジェンダーフリーや多様性の広がりとともに、「差別をしてはいけない」という声が大きくなっています。

 もちろん差別は許されるものではありませんし、「声を上げる」のは素晴らしいことだと思っています。

 でも世の中には「差別がよくない」ということを深く捉えるあまり、「こういうのは差別に当たるのか?」とか「差別と差別じゃないところの境界はどこなのだ」と言う人も出てきます。

 そうすると「より細かい規定みたいなものが要るね?」って話になり、「細かな規則」が生まれるわけです。

 かつて生徒手帳に書かれた規則が「細かすぎる」と問題になったことがありました。

 スカートの丈や頭髪の長さまでもが細かく決められており、それ以上だと「規則違反」となるわけです。

 でも一方で「長さという数字」に囚われすぎて、心が「萎縮」してしまうこともあるのではないでしょうか?

 では「差別をしない、させないため必要なことを一言で何と言うのか?」と聞かれたら、「そのままをありのままで認める」ことだと答えると思います。

 つまり仏教で言うところの「正見」(しょうけん)が大切だということになります。

 そしてそれはそれぞれが自分の「心」に常に「問いかけていく」ものではないかなと思うのです。


☆今日の一句☆

 差別心
   己の心に
      なかろうか


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