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ほとけさまのおしえ「救う?救われる?」

 苦しみや悲しみが襲ってくると、そこから救われて「穏やかな心持ち」になりたいと思うものです。

 考えてみればこの世は「思い通りにならないこと」に溢れております。

 その代表とも言えるのが、「生老病死」でしょう。

 そのどれも自らそうなりたいと思う人はいないでしょう。

 そして極楽浄土へ生まれたいと思う気持ちも、この世の苦しみ悲しみから救われたいと思う気持ちからではないでしょうか?

 では私たちの救われたいと思う気持ちをしっかりと受け止めていただけるのは一体誰でしょうか?

 考えてみたら私たちが救われるには「救う人」がいないことには始まりませんよね?

 「救われたいと思う人」がいるのは「救いたいと思う人」があってのことです。

 実はそのお方は阿弥陀如来様であり、全宇宙に大勢おられる如来様や菩薩様たちです。

 では阿弥陀如来様とは一体どのようなお方なのでしょう?

 私たちは阿弥陀如来様に救われるとき、「摂取不捨の利益」が働くとされております。

 これは、しっかりと抱きしめて決して捨てることなく救われるという意味です。

 そして救われて極楽浄土に生まれる時には「仏様」となっているのです。

 仏様は悟りを開き、自分のことで悩むことがありませんので、ただただこの世で悩み苦しんでいる人を「救いたい」と思う気持ちでおられます。

 ということは救われたいと願っていた自分もやがては仏様になり、今度は人々を「救いたいと思う立場」になれるのです。

 これを難しい言葉で言うと「往相(おうそう)回向と還相(げんそう)回向」といって浄土仏教の最も大切な考え方になります。

 私はこの考えをとても「素晴らしい」なと思っております。

 というのは「救われる喜び」と「救える喜び」をどちらも味わえるからです。

 必ず救われていき、また仏様にさせていただいたら今度は人々を救える立場にも立てる。

 これこそ「安心が決定している」教えではないかと思うのです。


☆今日の一句☆

 救われて
  安心決定(あんじんけつじょう)
     ありがたし
        

 

 

 

 

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