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仏教に学ぶ生き方、考え方「いただいてばかりいるということ」

 皆さんは誰かに何かを「いただいて」いますか?

 ちゃんと仕事して、生活も自立しているから、誰かに「いただくことなんてないよ」と言われる方もいると思います。

 でも仏教的な見方をすれば、実はほとんど「いただいている」といえるでしょう。

 例えば何かを食べる時も、「食べ物」をいただいていますし、ライブに行くときも「音楽やステージライティング」などをいただいています。

 確かに代金を払っているからと思いますが、自分で選んで自分で食べたり見たりしたりしているつもりでも、実はほとんど「受け身の状態」なのです。

 災害などで水道が使えなくなると、とたんに困るのも、水を「いただいている」からなんですよね?

 去年水道管が破裂して、しばらく断水を経験した私も、「水のありがたさ」を実感したところです。

 「今日何を食べて何をしよう?」と考えてみたりしますが、それは「何をどのようにいただこうか?」と考えているともいえます。

 そしていただく身でありながら、ちゃんといただけなかったり、自分の思うものがいただけなかったりすると、途端に「貪瞋痴のスイッチ」が入るのが私たち凡夫なのかもしれません。


☆今日の一句☆

 いただける
     我が身は何を
          与えうる

 

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