破けたら縫ってまた着る
同じものを長く使うか、買い換えるか
本当かどうかは知らないけれど、どうやら穴の空いた服を縫い止めて着続ける人が増えているらしい
それが良いか悪いかなんて語るのもおこがましいけど、何となく「へぇ〜、そんな人も増えているんだ」なんて思ったり。なんで今そんな人が増えているんだろう?
そう言えば以前ナガオカケンメイさんの本で読んだんだけど、ものづくりのターニングポイントがあるとか。
1945年の終戦以降、とにかく物が足りずに作れば売れた時代。それが落ち着いてある程度物が供給された60年代は、もっと良いものを作ろうと丁寧に物が作られていた時代で、良いものやデザインが多く産まれた。いわゆるプロダクトアウトからマーケットインの大流。さらに大量生産大量消費の時代を経て、供給過多の現代は、60年代の様ないいものを作ろう、それを長く使おうと言う価値観が見直されている。そんな内容だった気がする。
そんな価値観に則って、今穴の空いた服を縫って、それを着続けているんだろうか?
そんな感覚にすごく近いなと感じるのが、セレクトショップのB shop辺りだろうか?ブランドで言えば、scyeやCOMOLI、YAECAなんか。
60年代のスタイルという意味ではなくて、技術やコストを盛り込んだクラフツマンチックな部分や、デザインがモード一辺倒ではなく、カジュアルでオーセンティックなアイテムやディテールを取り入れているところ。見た目はシンプルだけど、すごく雰囲気があってかっこいいし。
今の気分を考えると、「色々と奇をてらった様なファッションは疲れました。もっと快適に過ごしましょうよ。でも洋服は好きだしオシャレではありたいよな。」って感じ。そんな気分の人がそれらのアイテムを纏うと、案の定みんな同じようなスタイルになる。
で、どこに差をつけるかと言うと個々のアイテムの「経年変化」である。
例えば同じデニムでも、リジッドとアタリの入ったクタクタのデニムはオリジナリティで言えばクタクタのデニムだ。他にもレザーの艶だったり、鉄の錆だったり。これらの良さは自分が長く愛用した事で起こる経年変化による価値が上乗せされている。そうすると同じものを身につけていても「俺のデニムは一味違うぜ!」って具合に自分だけのスタイルを表現できたりする。
という事で、穴の空いた服を縫ってき続けると言うのはその「経年変化」を一つの価値観、オリジナリティとして表現しているのかもしれない。
かく言う私も、インクの染みのついたワイシャツを何食わぬ顔で着用していたり。
そういえば昨年、何かの雑誌で「染みのついた服を愛そう」的な記事を読んだ気がする。「多様性を認めよう」の延長なのか、段々と劣化も愛される時代になっているのかも。
「勿体無いから縫う」ではなくて「可愛いから縫う」とかで愛着を持っているような気がする。
ただ、この辺まで来ると、みっともないとも紙一重なので、TPOによっては見られ方にリスクがありそう。
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