High Style "Dangerous Discotheque"7インチのことなど(後編)

前編はこちら

前編と後編のバランス間違えてるから、後編長いですよ!

ライブでHigh Styleを観て写真を撮っていたけど、マンジさんとは面識がなかったというのが前回の話ですが、ではどうやってマンジさんと面識を持つに至ったのか?というのから書きます。一般に言われるHigh Styleの話とは少し違う趣向の、今はややタブーとされている話もありますので、マズかったら消しますが!笑 ど真ん中のHigh Style史はいずれマナブさんあたりが書いてくださると信じて、僕の方はかなり個人的になります。

また時は流れ90年か91年かくらいか。当時僕はDOLLの取材カメラマンであったが、そこでよく通訳をやっていて仲良くなったのが並木アンナさんであった。アンナさんは東京のモッズシーンに居る女の子であり、彼女とはポール・ウェラーとかスクワイアーの話などをすることがあった。はい、そうです。みなさんご想像のとおり、アンナさんのボーイフレンドがマンジさんだったというわけです。なんかの取材の終わったときに、たぶんだけど、High Styleのジャケになっているあの車で迎えにきたことがあった。すげぇハイカラなカップルだな、と思ったのをおぼえてる。

かといって、マンジさんと友達になったわけではないんですが、その後92年くらいかなマンジさんとアンナさんが結婚することになって、僕は結婚式の写真を撮ってくれということを頼まれたんですよね。集合写真とかは式場付のプロの方がやるとして、僕はテーブル席の招待客の方たちをまんべんなく写真に撮るという役割だった。よく憶えてない部分もあるが、東京モッズ界のそうそうたるメンツが出席していて、モッズらしくきちんと仕立てられたカッコいいスーツを着ていたし、女の子たちも60sっぽいドレスアップをしていて非常に華やか且つスマートであった。そのときの写真はフィルム含めてまるごと渡してるので手元にないんですが。たしかFave Ravesがライブをやったりしてそれも素晴らしかった。実はそのとき、僕にも丸テーブルに席が用意されていたんだけど、写真を撮る役目があったゆえ、結局のところ料理に手を付けることができなかった。いまでもたまにマンジさんは、「あのときはごめんね~」って言ってくれるけど笑。

その2次会は渋谷のインクスティックだったんだけど、このときにコンピ”Lovin' Circle"に収録されている形式でのHigh Styleのライブがあった。僕のいうところのSaint Etienneインスパイア期のHigh Style。この2次会はふわーっとした居心地の良さがあったね。たしか関口さんとかも来ててガレージの話とかした。この頃関口さんともそんなに懇意ではなかったかな。まだ一緒にDJやらせてもらう前の話。

これがLovin' Circleコンピ。白にエンボスでロゴが入ってるだけなのでわかりにくいかと思い、少し暗くしましたが、ホントはもっと真っ白。「これが俺たちのホワイトアルバムだ!」ということにしてあります。裏ジャケも載せときます。

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そこからさらに3次会というのがあって、渋谷のロッキンチェアーって店。そのあと、よく憶えてないんだけど、ウメさんと一緒にマンジさんのアンプを持って帰るという役目を仰せつかりまして。ウメさんっていうのは、いまは正一という名で版画家として知られているけど、僕の高校の友達である飯塚(のちにStairs)の中学の友達で、僕の地元の友達。そのころThe Rareというバンドをやってて、モッズ・シーンに出入りするようになりそれでマンジさんと繋がりあって、のちのFlight Channnelでも一緒にやってたりする人です。

これが91年頃?のThe Rareね。横浜のジーンジニーの近くにて。左がウメさん(正一)

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そんで、ウメさんと僕は地元一緒なんで(相鉄線の二俣川近辺)、その日は僕も同乗してウメさんの家ににそのアンプを持って帰るってことになったわけです、マンジさんちの業務用の車で。それで楽しく会話しながら帰ってたんだけど、横浜過ぎて途中でそのマンジさんちの業務用の車が煙を吹きだした笑。煙が止まらずなんかやべぇぞ!尋常じゃないぞ!ってなって、近くのガソリンスタンド入ったらホースで水をシャーってかけられて、まあ、オーバーヒートだったんだけど、スタンドの人に、「もうちょっと遅かったらヤバかったぞ!」と言われたような。そんなこんなでけっこう遅い時間に帰った。

マンジさんとの思い出でこの長かった一日が一番印象深く、この時点からマンジさんと打ち解けるようになった気がする。

またまた時は流れるのですが、1995年くらいかな、のちにクッキーシーンをつくる伊藤さんがA&R業をやっていて、SquireのAnthony Meynellのソロをリリースする。そしてその流れで来日となった。僕はアンナさんに頼まれたのかな、ライブの写真を撮りに行った。そのときアンナさんのAnna名義でのライブもあった。

これがそのソロ。当時のポール・ウェラーっぽいというか、フォーキーな感じもある作品。

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これが同レーベルからのアンナさんソロ。ポール・ベヴォアがバックアップしている。マンジさんもバックの音作りでかなり関わっていると聞いています。

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恵比寿ギルティのAnthony Meynell、Anna。1995年6月。完全弾き語りだけど、Squireの曲もやった。このときあとStar Wagonも出てた。たしか米国音楽にAnthonyと尾崎の対談あったと思うので、興味あるかたはそちらもチェックされたし。Annaがギターがアキシロさんだったと思う。

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その来日時、アンナさんに頼まれてライブとは別にAnthony Meynellの写真を撮ったんですよね。代々木公園でフォトセッションみたいな。それがあとでSugarplumという名義のCDに使われた。

これ、Sugarplumの裏ジャケ。

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その時聞いた話では、ZESTに、Squireのレコードがいくらくらいで売ってるか見に行ったりしてたみたい。まあ、そんなに会話したわけではないが。しかし、あとから思えば、だけどこのときうっすらと予兆はあった、、、そうです。アンナさんはマンジさんと離婚して、ロンドンに行きAnthony Meynellと再婚してしまうのです!!!!

そこのいきさつはあんま詳しく聞いたことはないですが、事実そうなってしまったわけです。でも、僕は元々はアンナさんの友達であったけど、その後もマンジさんとはお付き合いさせていただいているというか、そんな頻繁ではないけど、たまに電話くれたりとかもあったわけです。

2000年以降の感じだと僕は某大型CD店に勤めてたんですけど、ポール・ウェラー関係の新作が出たりMOJOとかの表紙になったりすると電話掛かってきて、とりおきしといて、みたいな感じで、それを受け取りに来るみたいなところの関係だったように思う。いちど「中上くん、最近ので癒し系みたいなのない?」って言われて「??マンジさんの癒し系ってどんなんですか?」って訊いたら「ん、TimesとかSquireみたいなの」って笑。この人の癒し系ってこれなんだ!と笑った記憶があり。

High Styleの話から大きく逸れてますが、、、そのようなマンジさんと僕の関係というのもありながら、僕の周りのシーンのパンク~パワーポップ、ネオ・モッドの流れにおいてのHigh Styleの評価が非常に高くなっていくわけです。正直なところ、僕はモッズ・メーデーにも行かなくて、いわゆるFirestarterの界隈にずっといたので、モッズ・シーンの中でのHigh Styleのその後追いかけてなくて、マンジさんもThe BossをやったりしててHigh Styleは一時お休み?してたのではないかな、と思ってます。象徴的に言われるのはPower PearlsコンピにおけるThe Bagdeですが、この頃から海外では日本のネオ・モッドに注目が集まり、Power Pearlsを聴いて逆輸入的に日本のバンドを掘っていくような人たちも増えてきた。

ユース・カルチャーであったモッズのシーンも成熟するにつれ、大人の社交場の雰囲気もあったり、もろもろ突き詰めるとやっぱカネのかかる世界だよなぁ~、、、というような(個人の感想です!笑)状況下で若人の参入がなかなかハードル感じられる中、パンク・パワーポップ、ネオ・モッドを掘る連中がガッとHigh Styleに食いついたわけです。(まあ、彼らはおしゃれは気にしないがレコードに非常にカネを使う連中でもありますが!)

やはりパワーポップやネオ・モッドを掘っていく連中の中でUnicornのコンピ "Unicorn Two ... Modern Times"に収録された”London In The Mist”の英語ヴァージョンというのは欠かせない一曲である。ネオ・モッドも一回りした時期の80年代後半に同時代のUKのバンドに混じって収録されたHigh Styleの誇らしさよ。そしてこの曲の日本語ヴァージョン収録の"Dance! Approved Streets"コンピも探す人が増えた。この曲はアンセム化し、ライブでも毎回ハイライトになる曲である!

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僕が夢想しているのは、いつかこの”London In The Mist"英語ヴァージョンと日本語ヴァージョンを1枚の7インチAB面に収めること。みんなも欲しいでしょ?いつかやりたいね。

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そしてレコード・ディガーたちに情報が伝わることによりHigh Styleの1st 7インチはコレクターズアイテムとなり、ワールドワイドにこれを探す人が増えてきた。マンジさん本人からも聞いたことがあるような気がするが、この7インチはBiff Bang Pow!など初期クリエイションのバンドへ同時代的に呼応した80年代後半的インディー・モッド・サイケ・ポップであり、それゆえにモッズ・シーン内での評価が難しい一枚であった(少し視点をずらせばネオGS的なところに飛び込んで評価を受けたのかもしれないが、それにはバンドの佇まいがスマートすぎたのかもしれないし、マンジさんなりのこだわりがあったと思われる)。モッズの持つ多様性、スタイルにとらわれているようで実はなんでもあり、ということを受け入れるのはなかなか難しかったのかもしれない。しかしながらもこの盤は世界のモノ好きからどんどん評価され続けている。音楽が時空を超えて評価される様を我々は見ているのである。近年ではドイツのコレクタージン、FLEX!に紹介されたこともあり、海外からの注目がさらに集まっている。

そういった意味では2010年に発表されたセカンド7" EP" It's A Revolting Painted World"は世界的に言えばまだあまり知られていなく、これから掘られる一枚だと思ってる。最近、僕がDiscogsに登録したので笑。これ10年前なんだけど、同時代のモッド・ポップ、例えばOcean Colour Sceneなんかも意識したのかなぁ、というくらいにアップデートされたネオ・モッド感ある傑作だと思ってる。

で、前後関係曖昧だけど、2010年代中盤になると関西のThe Zipというネオ・モッド的なバンドがBrooksのカヴァーしてるぞ!という話題があり、もうそうなってくると隙間産業的な雰囲気もしなくはないけど、マンジさん、さらにはWinks〜Maybels、Flight Channelなどポップな要素のあるバンドやフォークロック的要素のあるバンドにも注目が集まってきているのを感じた。The Zipであったり、トヨゾーのNervous Heartsのようなパンク・シーンからのこのような動きは原体験をThe Jamやさらば青春の光に持つモッズ・シーンのベテランたちにも少しは刺激を与えているのではないかと思っている。よくおぼえてないけど、僕自身、なぜかこの頃からまたちょいちょいマンジさんと蒲田あたりで飲んだりしたりして、あとウッチーさん(現High Styleマネージャー、Beat Caveというイベントも主催している)と面識ができたりしていた。そのような流れもあってか、マンジナイトというトークイベントがぷあかうにて開催された。これはustreamでも配信したので見た人もいるかもしれないけど、ぎんざNOW関連の話とかエドワード・ボール関係のいい話とか満載で、東京モッズ・シーンの流れ+アルファのおもしろイベントだった。今のコロナ状況で、もう一回配信イベントやっても良いかもね、とは思います。

これがマンジナイト時に配られた自筆のファミリーツリーである。真ん中の筋がHigh Style。2010年までなので、このあとまた追加あると思うけど、着手する気配は無い!

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で、かなり長くなったけど、10年振りにシングルを出したHigh Style、シングル出たけど、レコ発も飛んでしまったりとかThe Badgeナイト東京編も延期になったりとかいろいろ大変になってしまったけど、この前話した感じではのんびりやってくよ、とのことでしたので。まあ、10年に一枚だからね、のんびりだよ、そりゃ!笑

そんなこんなでマンジさんについてつらつらと書いてしまいました。ヤバめのところはマズかったら消すので言ってください!

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