High Style "Dangerous Discotheque"7インチのことなど(前編)

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High Styleが10年ぶりとなる7インチ"Dangerous Discotheque"をリリースしたので、この機会にHigh Styleのことを少し書いてみたいと思います。

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High Styleはレコーディング・アーティストとして捉えるならば非常に寡作なバンドである。オムニバスへの参加はあるものの、35年くらい?の活動期間において、単独作は3枚の7インチという少なさ!次は2030年くらいかな笑

マンジ、マーク、ぼたん、よしたかという現在のメンバーになってからライブは精力的にやっていて、そのライブでもよく演奏している曲ではあるがレコードならではの仕込みはある。

A面"Dangerous Discotheque"はスカを基調にした曲で、メインヴォーカルはぼたんがやっている。High StyleにはあんまりスカのイメージをもっていなかったのでこれをA面、しかもマンジさん歌ってないよ!って驚きはあったものの、たとえばDeltonesとかにも通じるかわいらしいガールズネオスカの空気があって楽しい曲だと言える。マークはご存じのとおりスカパラ~Blue Beat Playersという流れでスカ、ロックステディにも取り組んでいたわけで、その意味でも納得。このレコードにおいてはアルト・サックスも吹いている。

B面はグラムを少し意識したというイントロからジュリー田中氏のハープが絡みハードなR&B的展開のように見えて、これもまた軽快なHigh Styleらしいネオ・モッドな曲に仕上がっている。マンジさんが歌の中で「僕」というとき、実年齢(と裏ジャケ写真の髭面!)とは関係なく、声の感じも相まって、少年のような感じがしてしまうんだよね。歌詞でワインを飲む話題も出てくるから少年ではないけどね。

両面、違うテイストの曲で、大げさに言うなら、High Style流のネオ・モッド解釈は10年の時を経てまた次の段階に入ったのではないか!!??

ジャケのデザインはミヨさん(スカンクス~DROPS)がやってて、僕は詳しく知らなかったんですが、モダン・レコードの丸くんによると”The harder they come”のジャケなどで知られる英国デザインチーム、C.C.S. Advertising Associates Ltd.のアートワークの意匠を踏襲したものだということだ。直接的にはこれになるのかな。

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唐突だけど、この機会を利用して(笑)ここからは僕なりのHigh Style(というかマンジさん)との関わりを書いていきます。モッズ門外漢なんで、間違ってること言ってたら指摘してください。

東京のモッズ・シーンというものに初めて触れたのは1988年のモッズ・メーデー、渋谷のライブ・インだった。当時僕は20歳。このときはDOLLのカメラマンとして、写真を撮りに行っていて、そこにHigh Styleも出演していた。記事はGig reviewのところで、当然写真は一枚しか載らず、それはThe HaiRの写真であったと記憶している。この時はもうメジャーデビュー済みのコレクターズがトリで出ていたにも関わらずThe HaiRの写真がセレクトされたということはDOLLらしいというか、パンク雑誌としてのスタンスが良く表れていたし、それほどこのライブでのThe HaiRのインパクトが強かったということが言えるだろう。僕もThe HaiRのライブにはビビっとくるものがあった。そして、今思えば、だけど、DJも含めた全体的の雰囲気が、若者たちが自分たちで楽しむために作ったパーティーみたいな雰囲気があってサイコーだった。High Styleのライブに関してかなり大雑把に言うと、そのとき個人的に好きだったMakin'Timeの流れにあるバンドだと感じていた。それは女の子がいてキーボードを弾いているという見た目の話なのかもしれないけどね、、、。ちなみにまだこのときはマンジさんとは面識はない。

これがそのとき撮った写真。マンジさん曰く「ボタンの多いスーツ」1988年、渋谷ライブイン。

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僕の場合、だからと言ってThe HaiRのライブに通うということもなく、DOLLから「あそこに行ってくれ」と言われれば写真を撮りに行く、というような感じであったのでどこかのシーンに入り込む当事者というような意識はまるで無くて、なににおいても受け身であり傍観者的なものだった。薄ーいかんじで音楽に関わっているのはいま考えるとダサいけど、それでも自分としては目いっぱいロックに触れている感覚があったわけです。

そんな感じでその後まるっきりHigh Styleのライブを目にすることもなく過ごしていたのだけど、それから1年後、1989年のモッズメーデーもDOLLの取材として写真を撮りに行くことになった。この年もマンジさんは出演しているのだがHigh Style名義ではなかった。マーサ&バンデラス的な名前だった??(追記:教えていただきましたMartha & the reverbsです)

こちらがそのとき撮った写真。1989年インクスティック芝浦。

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この年はThe HaiR、東京スカパラダイスオーケストラのインパクトがすごかった。スカパラはその後レコードを出してメジャーな存在になっていくわけけで、これがモッズなのかどうなのか、というのもあり、その時の自分の頭のキャパ的にはモッズではないのだけど、Potato5やGaz Mayallの来日でその下地がすでにできていたというのもあるかもしれない。とにかくモッズたちを大いに盛り上げてた。そして以前ブログにも書いたThe Gear。これらのバンドの存在は、80年代前半にネオモッズと同時代的に発生し、その流れに呼応する形であった東京のモッズがオーセンティックなR&B、ブルース、スカ、ジャズなどを独自に掘っていくという一つの大きな流れを形成したのではないか、と思う。演奏者もDJもオリジナルのノーザン・ソウルやジャズを掘っていく流れになって、言い方が正しいかわかんないけど「本物志向」みたいな感じになっていったのではないか?と思ってる。これは別にいい悪いの話ではなくそういう流れになったということである。そしてメーデーもクラブチッタに会場を移して大規模化していった。

そしてこの時点においてもまだマンジさんとは面識は無い(笑)

ここで言えることは、そんな流れの中でもマンジさんおよびHigh Styleはあくまでも「ネオ・モッズ」であり、徹底的にポップ指向だった。これがのちのわれわれのシーンにとって重要なポイントであり接点となる。

ネオ〇〇っていうのは日本独自の言い回しなので、嫌う人もいるけど、ある傾向を表すのに適しているなぁ、と僕は思っている。ネオロカの世界では形容詞として「ネオい」っていう言い方もあって、その意味ではHigh Styleはずっと「ネオい」わけです。

このあと、どのようにしてマンジさんと面識を持つようになるのかを書きますが、長くなったんで、後編に続きます。


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