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#74 中井久夫氏の箴言知

1.本日1月15日は小正月

 松の内が過ぎ、鏡開きも終え、本日15日は「小正月」(こしょうがつ)。昨日は、私の地元でも3年ぶりに「どんど焼き」が行われました。
 まわる時間「円環的時間」感覚の中で、まったり過ごした正月の後は、時間の流れは、「直線的時間」感覚に戻り、時間の流れが急に早くなった気がします。
 1月も半分が終わりました。1月は「イク」、2月は「ニゲル」、3月は「サル」ー1年の中でもこの3か月は特に時間の流れを速く感じます。
 そんな中、昨年の冬至(12月22日)から、少しずつ日照時間も長くなっています。まずは「日の入り時刻」が先行して12月14日頃から遅くなり始め、ほぼ1か月遅れて「日の出時刻」が、昨日あたりから、少しずつ早くなりました。
 月末/月初比では、日照時間は、1月(37分)、2月(55分)、3月(67分)と、月を追うごとにペースを上げて、長くなります。まだまだ、寒さの本番はこれからですが、春の訪れを待ちたいところです。

2.100分de名著「中井久夫スペシャル」

先月NHK Eテレで4回連続で放映された100分de名著「中村久夫スペシャル」ー「心の医師」が残した歓待の箴言知ーは、精神科医の斎藤環氏が指南役として、昨年8月に亡くなった中井久夫氏を取り上げました。
 斎藤環氏の「中井久夫の『義と歓待の精神』こそが、自分の理想とするケアの姿であり、それをいかに継承し、実現していくか、それこそが私が中井久夫から受け取った終生の課題だと思っています」との言葉の通り、静かな語り口ながら、斎藤環氏の熱い思いが窺われ、中井久夫氏の人となり、偉業について深く考えさせられる秀逸の内容でした。

知識欲が権力欲に転じることを嫌った中井は、意図的に自分の理論の「体系」を作りませんでした。そのアイデアはしばしば断片的な箴言の形で表現されるため、そうした知性のありようを私はかつて「箴言知」と評したことがあります。体系はしばしば視野を狭くしますが、すぐれた箴言には発見的な作用があります。中井が残した箴言の数々は、これからも私たちの導きの意図になっていくでしょう。
(中略)
体系のない箴言の集積だからこそ、どの本から読み始めて、どんなふうに読んでもいい。気軽に読み始めて、気軽に立ち去る。そういう読み方でかまわないのだと思います。

100f分de名著「中井久夫スペシャル」テキスト(P6-8 )

斎藤環氏が番組で取り上げた10冊の中で、次の2冊を読んでみました。
・「昭和」を送る(みすず書房2013年)
・「いじめのある世界に生きる君たちへ」(中央公論社2016年)

これまで、私は、中井久夫氏の著書を読んだことがありませんでしたが、「患者の心に寄り添うということ」「本当のやさしさとは」について、大きな気づきを得た思いでした。

3.心の傷を癒すということ

100分de名著では、2020年1-2月にNHKドラマで放映された「心の傷を癒すということ」についても触れられました。3年前私はこの番組を見逃していましたが、NHKオンディマンドで今月末まで視聴できることを知り、ドラマを見ると共に、安克昌氏の著書「心の傷を癒すということ」を読みました。

安克昌「心の傷を癒すということ」(角川ソフィア文庫)

「心の傷を癒すということ」は、ドラマ/著作共に素晴らしい内容でした。同時に、阪神淡路大震災で起きた「真実の姿」や現場で奮闘した様々な人たちのことについて、私は余りに無知であったことを思い知らされました。
 阪神淡路大震災から、今月17日で、28年になります。安克昌氏が被災地から発信した克明な記録は、多くの葛藤の中で、日本が目指すべき方向を示しているように思います。あの記憶を風化させてはならない。否、私は
これまで「他人ごと」として捉えていた、と深く反省した次第です。

大げさだが、心のケアを最大限に拡張すれば、それは住民が尊重される社会を作ることになるのではないか。それは社会の「品格」に関わる問題だと私は思った。

「心の傷を癒すということ」(安克昌)P65

ドラマの最終回で、安克昌役を演じた柄本佑が、「心のケアとは、誰もひとりぼっちにさせへん、てことや」というセリフがあります。

「『心のケアって何か、わかった』と書いた直後、手が止まりました。安さんが人生をかけて掴み取った答えを、私が書かなければいけないのです。重圧に負けそうになりながら、言葉が浮かぶのをひたすら待ちました。
まるで、安さんのそばにじっとたたずんで、口が開かれるのを待っているようでした。やがて『誰もひとりぼっちにさせん、てことや』という言葉が浮かんだ時、これは安さんが書かせて下さったセリフだと思いました。」

(新増補版)「心の傷を癒すということ」(P451)

これは、同著に書かれている番組の脚本家である桑原亮子さんの述懐ですが、安さんが最も伝えたかった言葉が、この一言に集約されているように感じました。

4.中井久夫氏の箴言ー知を読み継ぐ

 テレビ番組でも、柄本佑演じる安克昌、近藤正臣演じる中井久夫が、実にいい味を出しています。
 中井久夫氏の著作の中に、安克昌氏のことを取り上げたものがあります。中井久夫氏は、安克昌氏の葬儀委員長を務めています。

安克昌氏の死後、8年余りが過ぎた2009年2月、「安克昌先生と私」という題目で、中井久夫氏はエッセイを書いています。

 彼は、40歳に手が届く寸前に世を去っている。死者は永遠に若い。それは単に記憶の中で若い姿形だというだけではない。もし彼が生きていればこうもなったろう、ああいう方向を打ち出したろうというさまざまな可能性が人々の思いの中にいつまでも豊かである。この第二の生は、彼の記憶をとどめる人がこの世にある限り続く。「もし彼が生きていればこの問題についてはこういうことを企てるだろう」などなど。
 生きるという事は、多数の可能性を一つの現実性に変えてゆくことである。老いゆく生者である私の可能性は年々小さくなり色あせる。死者は時に人々の想像力の中で可能性を繁らせる。死後10年、『治療の聲』のこの特集は葉むらの繁りの一つである。

「安克昌先生と私」(2009年2月)(中井久夫『昭和を送る』所収)

 中井久夫氏のこの言葉は、死者は我々と共に生き続けるのだという『箴言』と、私は受け取りました。阪神淡路大震災から28年目を迎える今、改めて、安克昌氏、そして中井久夫氏の遺したものに思いを致し、「これから」を生きていきたいと強く願います。


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