見出し画像

#11  8月15日を終えて思うこと

1. 8月15日を終えて

八月や六日九日十五日:何気なく口ずさんだ「一句」が、様々なエピソードを持つ俳句の世界では話題の句(詠み人多数)であることを知り、今年の6日(広島原爆忌)、9日(長崎原爆忌)、15日(終戦の日)は、流されることなく、丁寧に過ごそうと思いました。

6日(広島原爆忌)の8時15分、9日(長崎原爆忌)の11時2分、8月15日(終戦の日)の正午には、私も黙祷をしました。

「戦後イベント」は10年刻み、或いは、25年(四半世紀)刻みで、開催されることが多いですが、昨年は「戦後75年=三四半世紀」で大きく取り上げられました。しかし、「戦後76年」の今年は、メディアでの報道も少なく、このままでは、77年、78年、79年と年が経るにつれて、人々の関心が薄れていくことを危惧します。

一方、戦争体験を語れる方の高齢化は、年々進みます。多くが、80代後半以上の年齢になっています。長い間封印していた戦争の記憶を、今ここに来て語り始めた人たちの声に、改めて、耳を傾けなければ、と思います。風化させてはならない「記憶」であり、「記録」に留めてしまってはならない、そんな思いで、自らの戦争体験を語る人たちの声を聴きました。

2.城山三郎氏の渾身の一冊:「指揮官たちの特攻」

経済小説の開拓者と言われる城山三郎氏の作品は、20代の頃から愛読しています。新刊が出るとすぐに買い求め、初期の作品も文庫本でかなり読みましたが、伝記小説や歴史小説にも多くの作品があります。

徹底した取材に基づき、妥協を許さない真実の追求と検証、そして、誠実な筆致と語り口が魅力で、城山作品の読了後には、いつも爽快感が残ります。 城山氏は、1990年代には、経済小説を書くの止めてしまいますが、「書きたいと思えるような魅力的な経済人・財界人がいなくなった」と、どこかに書いておられたのを記憶しています。

指揮官たちの特攻

8月15日の終戦の日を前に、城山氏の2001年の作品「指揮官たちの特攻~幸せは花びらのごとく~」を読みました。初版(初版2001年8月)で最初に読み、2004年に文庫本で再読し、今回、改めて読み直しました。

戦争を書くのはつらい。書き残さないのは、もっとつらい」      城山三郎氏がこの作品に託した思いが伝わってきます。前年、最愛の奥様を失くされ、失意の底にあった城山氏が、渾身の思いで書き上げた、城山文学の集大成とも言える作品です。

同書は、関行男大尉と中津留達雄大尉、2人の特攻指揮官の人生を対比させながら、ドキュメントとして語る形をとっています。

中津留大尉の上官である宇垣纏中将は、日本がポツダム宣言を受諾し、戦争が終結したことを知っていながら、あえて伝えず、8月15日、突撃命令を出します。そして、玉音放送の5時間あとに、中津留大尉は最後の特攻に出撃。

ところが、攻撃目標とされた、沖縄本島の米軍キャンプには、灯りがともっており、平和な賑わいを見せていました。突撃の直前、中津留大尉は、その光景に戦争終結を悟り、瞬時に攻撃目標を外し、米軍キャンプの先に突っ込んで自爆します。

中津留大尉の咄嗟の判断と行動がなければ、日本は、戦争終結後、「だまし討ち攻撃をした」との汚名を着せられ、日本に「戦後」は訪れなかったかも知れません。

76年前の8月15日、玉音放送の5時間あとに飛び立ち、23歳の命をかけて日本を守った一人の若者の存在を忘れてはならない。城山三郎さんのメッセージを改めて受け止めました。

3.「記憶の解凍」プロジェクト

昨年、「記憶の解凍」プロジェクトの存在を知りました。プロジェクトの中心の一人が、庭田杏珠さんという10代の若者であることを知ってさらに驚き、「AIとカラー化した写真でよみがえる 戦前・戦争」(光文社新書)をすぐに買い求めました。

これまで、戦前・戦後の写真と言えば、モノクロ写真が定番であり、せいぜい、モノクロからカラーに不自然なデジタル変換を施された写真がほとんどでした。「最新の取材や資料をもとに人の手で彩色。カラー化により、当時の暮らしがふたたび息づく」。写真からは、これまでにない、リアルな生活の息遣いが聞こえてくるようです。

そもそも、庭田さんが関心を持ったのは、小学校5年生だったとのこと。それから、戦争体験を聴く経験を重ね、東京大学進学後に、渡邉英徳教授との出逢いにより、プロジェクトに本格的に参画します。

私も戦争を知らない世代ですが、Z世代である庭田さんが、戦争の記憶の伝承と伝達のための取り組みをしていることに、大きな感銘を受けました。

自分にもまだまだやれること、やるべきことがあると、改めて思い至った、8月の6日、9日、15日でした。8月も、今日から後半に入ります。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?