台湾は中国なのか?②
前回の記事はこちら。
さて、中国が漢人ではなく
満州人によって統一された
「清」の時代です。
現在の中国地図は
ご存知でしょうが、こちらです。
清の時代に移り変わる時の
中国の地図はこのようでした。
清と書いてある場所は
満州国と呼ばれており
一時期、明は順に北京を制圧されて
すぐさま、清によって順と明を
制圧されました。
そして出来たのが
大清帝国(清王朝)です。
現在の中国の形に近いですね。
◆清の領土となる台湾
清の時代は1616年から1912年まで。
日本で言うと、
ちょうど江戸時代とかぶりますね。
清の最後の皇帝は溥儀(ふぎ)
映画でも有名なラストエンペラーです。
中国三大悪女の
西太后が出てきたのも
清の時代ですね。
さて、清の時代に変わるも、
清王朝は台湾を重視してはおらず
ただし、清に対する反対勢力撲滅という事で
鄭一族のいる台湾を攻め、制圧します。
これによって鄭一族による
台湾の統治は23年で滅んでしまいます。
その後、清は台湾を
統治することも無く、
「そんな離れ小島いらん!」と、
いわゆる罪人などの島流しの場所として
扱っていました。
当然、台湾は再び荒れ始め
密航者が後を絶たず
土地の奪い合いが始まります。
派遣される役人も
賄賂や、弾圧のし放題でした。
◆アヘン戦争
皇帝が12代も続いた大清帝国です。
当時、世界のリーダーはイギリス。
清もイギリスと交易がしたいわけです。
イギリスとしても、
大国になった清と交易がしたいわけです
そこで、清はイギリス人の好きな
茶葉、陶磁器、絹を
イギリスに輸出していました。
紅茶が好きな英国人
中国茶にもあっという間に
飛びつき、
大量の茶葉を清から買いました。
そんな時
イギリスは、ふと思います。
輸入するばかりで、
輸出の旨みが無いと。
そこで、イギリスは
インドを経由して
アヘンを清に売りつけます。
これがいわゆる「三角貿易」です。
アヘンが蔓延した清は
アヘンを禁止しましたが
多額の利益の元を
禁止されるわけにはいかない
イギリスは、1840年
清とアヘン戦争を始めます。
2年続いた戦争は、イギリスの勝利に終わり
香港を割譲されました。
清は不平等条約を結ぶ羽目になります。
これが「南京条約」です。
この条約により、台湾も
港を4か所イギリスをはじめ
フランス、アメリカに開港
台湾からは、
茶、砂糖、ショウノウなどが
輸出されるようになりました。
一方、日本でも1853年
ペリー来航によって、
近代国家への建設化に進みます。
今まで国と呼んでいたけど、
それは都道府県の事。
大枠は日本という領土内のことである。
日本はどこからどこまでが
日本なのか?
「外国との領土の区切り(国境)を
ハッキリしないといかん!」
日本の資源を勝手に
持っていかれちゃうからね。
◆琉球の存在
そこで問題になったのが
「琉球」の存在
当時の琉球王国は
中国にも日本にも貢物をしてました。
どっちつかずの沖縄琉球王国。
そんな時、
沖縄宮古島の漁船が遭難し
台湾に漂着しました。
漁船に乗っていた66人の内
54人が台湾住民に殺される
事件が起こりました。
日本政府は、清に対して
この事件の責任を追及しますが、
清の答えはこうでした。
「化外(けがい)の地で、
化外の民が起こした事件
清の管轄する出来事ではない」
日本政府は、
どこの領地でもない台湾なら
沖縄ごとひっくるめて、
日本領にしてしまえ!
ってことで、
台湾に攻め入り、
交渉の結果、
台湾からは撤退するが
沖縄は日本領であることを
確定させました。
日本が出兵したことにより
清は台湾の地理的重要性を
見直し始めるが、
本土の汚職や内部抗争に
手を焼いており、
台湾の改革まで手が回りませんでした。
必要な時には利用され、
用が済めばポイ捨て。
また台湾は独りぼっちの
家なき子状態が続いていくのです。
(つづく)
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