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母親のたまごやきについての思い出

小学生の頃というのは、給食が主なお昼ご飯になるわけで、お弁当を食べる機会は珍しいことであった。
学校の給食には、必ずにんじんがどこかの食材に使われているらしいが、私の母が作るお弁当にも必ず入っているのものがあった。
それが、たまごやきである。

お弁当のたまごやきと聞くと、たまごやき器で作られた、薄い卵の層を重ねて巻いていくものを思い浮かべる人が多いであろう。かくいう私も、そういう整った形のたまごやきが一般的であると感じていた。

しかし、私の母が作るたまごやきは、丸い普通のフライパンで作られる。
溶き卵をフライパンに流したら、菜ばしをぐるっと通して片方に寄せ、片面を焼いたのち、ひっくり返して焼きめをつけて、はい完成! といったものであった。それを包丁で切って、弁当箱に詰めて、私のお昼ご飯の一部となるのである。

もちろん、そのような作り方であるから、断面は層になっていないし、表面もまばらな焼きめがついていた。
他の子のたまごやきやテレビで映るたまごやきを見ると、きちんと楕円形で層になっていて、きれいなたまごやきなのである。
小学生時分の私はおさなごころに、なんとなく恥ずかしくていたたまれない、ちょっぴり悔しい思いを持っていた。

「お母さん、もっと手の込んだたまごやきを作ってよ」
とは言えなかったが、そんな言葉は胸の中に抱いていた。
言ってしまえば私は、母親のたまごやきに不満と恥ずかしさを持っていたのである。

そんな幼い私の不満をぶつけられた不遇のたまごやきに、一筋の光がさすときが訪れる。

小学校の高学年になった私は、習い事としてミニバスを始めた。
休日に大きな体育館で一日を通して試合をする日があると、その日はお弁当を持っていくことになる。
私は、練習もあんまり好きではなかったが、試合にいたっては心底憂鬱であった。(私がミニバス、および部活が好きではないことについては、本稿の趣旨を逸れるので、これ以上は言及しないでおく)

それゆえ、試合続きの一日のお昼ご飯の時間は、心安らぐ束の間のオアシスであった。
ここで、件の不遇たまごやきくんの再登場である。
このたまごやきは、おおざっぱに作られたため、層がなく、形も焼きめもいびつで、私からの不満をぶつけられているという特徴があることを振り返っておこう。
ついで言えば、かなり甘い。一口味見してみれば、それはそれは砂糖がたくさん入れられたのだろうなというような甘さである。

私は、この甘さだけは、好きであった。
幼かったからかもしれないが、甘いものは美味かったのである。
特に、疲れているときなんかは格別に。

だから、束の間の安らぎタイムは、たまごやきの甘さで回復しながら、午後からの(出たくもない)試合に一応備えていた。
そこに、光がさしたのである。

どこの集団にもできるやつというのはいて、私の所属していたミニバスのチームにも、足の速くて運動神経抜群の、小学生ではモテること間違いなしの同級生がいた。もちろん、バスケも上手で、エースの部類である。

そんな彼が、私のお弁当のたまごやきを見て、
「そのたまごやき、ちょうだい」
と一切れ食べたのだ。
そして、美味しそうに食べたあと
「たまごやき、甘くて美味しいわ」
と言ったのであった。

その後も、お弁当を食べる機会がある日だと、彼は幾度か
「たまごやき、ちょうだい」
と言って、美味しそうに私の母親の作ったたまごやきを食べてくれた。

ここに、不遇たまごやきくんも、日の目を見るときが来たのである。
たまごやきからしても、私のような活躍できない愚息に不満をぶつけられながら胃の腑に落ちるよりも、美味いと言われながら韋駄天のごとく俊敏に躍動する彼の栄養になれることは、たまごやき冥利に尽きるといったところだろう。

なにより、彼のような運動のできる男の子に、母親のたまごやきを気に入ってもらえたことが私は嬉しかった。
たまごやきよ、私はお前が誇らしいぞ! と現金にも思ったのである。

私の母親のたまごやきは、
おおざっぱに作られているから見栄えこそ整っていないけれど、
私にとっては韋駄天の彼に気に入ってもらえた誇りのおふくろの味であり、
とっても甘い、母親を象徴する料理である。


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