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底辺とは2

前回に続き、底辺とは何か、述べていきます。
負の学、そして、負の社会関係資本が蓄積された状態が底辺である、というのが、前回、私が定義した令和の底辺です。
今回は、負の学とは何か、詳細に述べていこうと思います。

負の学とは何か。
人によって定義が違うものだと思いますが、私はこう定義します。
略奪しても逮捕されずに済むという学び。
これが令和における負の学です。

前回は頂き女子を事例としました。
頂き女子には負の学があり、負の社会関係資本があるからです。

略奪しても逮捕されないよう、安全なカネヅルを見出し、逮捕されない方法を編み出し、その上で奪えるだけ奪う。
その方法は、頂き女子の仲間、負の社会関係資本で共有し、より巧妙に発展させ、より効率的に、根こそぎカネヅルからカネを奪う。

負の学と負の社会関係資本は、極めて技巧的で、さらに、極めて効率化された、カネの略奪方法を生み出せたのです。

その略奪方法を有償販売した罪により、詐欺罪で頂き女子が逮捕されましたが、有償ではなかった場合には、どうだったでしょうか。
略奪方法を無償共有していた場合は、どうだったでしょうか。

法律をすり抜けていたのではないですか。

「逮捕されなきゃ良いよ!」という生物は、もう二度と私のnoteの全てを読まないでください。

知識は、より良い自分、より良い周囲、より良い未来をつくるために用いられるべきものです。
カネヅルからカネを奪えるだけ奪うための知識は、負の知識、負の学です。

現在、逮捕されない略奪がいくつもあります。
パワハラによる自腹の強要もその一つ。
パワハラによる自殺の強要もその一つ。
人のカネや人の命を略奪する方法です。

パワハラをやっても悪徳弁護士と組んで揉み消すだけだ、と思う生物は、頂き女子の詐欺師と何が違いますか。
略奪方法に長けて、カネを集めるだけに長けて、そんな生物に何の価値がありますか。

例外を除き、一般論として言います。
平成の上司や令和の老人が、何故これほどまでに穢らわしいと思われているか。

逮捕されない略奪を繰り返してきたからです。

時間の略奪、自由の略奪、尊厳の略奪、そして、生命の略奪、というありとあらゆる形の略奪が、揉み消されてきた。揉み消され続けてきた。
だからこそ、元なんたら長の老人はコスパよく、タイパよく、カネだけはあることになった。
けど誰も寄りつかない老人ができたのです。

中村淳彦さんの取材対象は底辺です。
けれど、その底辺を生み出した底辺生産マシーンこそ、本物の底辺なのです。

カネだけがある底辺は罰せられていません。
カネや地位を最大限に利用して、裁判に踏み切りにくくするからです。
制度上の瑕疵でしかありません。

我々は、そんな人災と戦うべきではありません。
人災からは避難するべきなのです。

我々が目指すべきは「気は優しくて力持ち」。
力持ちの力とは、腕力や筋力、あるいは体力に、限定しなければならないものですか。
知力も力です。
「気は優しくて知力持ち」を一緒に目指そうではありませんか。
現在お読みの皆さんは、既にそうだと思います。
更なる力を、一緒に身につけましょう。

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