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虎の威を借る狐4

虎の威を借る狐の話をもう少し述べていきます。
狐は我々をどう見るか、の続きから述べることにします。

狐はトカゲで言うとどこか

前回、狐は我々を山羊と見る、と述べました。
スケープゴートとして見ていると。
もう一つの見方、それはトカゲの尻尾です。
我々をトカゲの尻尾として見ている。
一方で、狐は自身を尻尾とは見ていないのです。

狐は虎にどれだけ近いかだけが判断基準です。
ゆえに蜥蜴で言うと、狐は首や胴になるのが目標である。
純粋老害なら胴体、若手老害なら手足。
そういう自己認識だと見做さざるを得ないことがいくらでもあるものです。
狐は蜥蜴の頭には絶対になろうとしません。
もし蜥蜴の頭になろうとする狐がいたら、それは狐ではなく虎の子です。
狐が蜥蜴の頭になろうとするわけが無い。

責任が伴うから。

蜥蜴の尻尾には責任を負わせるが、蜥蜴の胴体として責任を負わない。
それが虎の威を借る狐の行動理念なのです。
責任は負うでなく負わせる。
これが狐ですよ。

強い虎の胴体や手足として動き、虎へのダメージばかり気にして、害悪を撒き散らす。
これが虎の威を借る狐の根幹なのです。

蜥蜴の頭(=虎)を守るのが絶対である。
そのついでに首や胴(=狐)も守る。
尻尾は斬る。

保身のためなら何でもする狐は、自身を尻尾とは見ないから、斬ると言えるし、尻尾を狐以外から探すのです。

蜥蜴の尻尾

老害ではない人間が、蜥蜴の尻尾となり易いのはそのため。
もし老害を蜥蜴の尻尾にすると、次は別の老害が蜥蜴の尻尾となるためです。
狐まで尻尾になるぐらいなら、狐は老害以外から尻尾を探す努力を惜しまないものです。
※読書という努力は怠るのに。

狐は知識の更新よりも、過去の犯罪自慢のほうが大事です。
犯罪をやっても捕まって来なかったんだ、と言い放つことによって、補って余りあるだけの優秀さがあるかのように示せると思い込んでいるから。
昭和の経営者が見逃してきたミスを利用して虎の威を借ることが出来るから。

昔は同僚や部下に触っても問題なかった、と平気で言う老害は、犯罪自慢をとっととやめろ、もう二度と口を開くな、と思います。
けれども、愚かな老害が蔓延るのは、補って余りある優秀さを示せると思っているから。
そんな優秀さなんてものは無いのに。

旧態依然の蜥蜴の頭、蜥蜴の胴体、蜥蜴の手足を守らないといけない道理はありません。
狐の思うがままにならないように、虎と直接話すほうが良いのです。
虎まで狐なら虎ごと潰す、ぐらいの勢いで。

犯罪自慢の老害が存在する必要がありますか。
片っ端から潰せるだけ潰すべきなのは、旧態依然の前例踏襲の組織のほうです。

ただ、人生は有限なので、穢らわしい腐敗組織を潰すよりも、穢れていない場所に避難するほうが良いということにはなるのですけれど。

腐敗した巨大な虎、その取り巻きの腐敗した狐、そんなもん生きてはいない。死んでいないだけ。
生きた亡霊、生きた怨霊です。

蜥蜴の尻尾のほうが余程立派なのです。
生じた責任を負わされているという意味で。
弱い虎の方が余程立派なのです。
威を悪用されて責任のみが降りかかろうと。

保身しか考えない穢らわしい狐になるぐらいなら蜥蜴の胴体なんて目標にする必要無し。
尻尾扱いされようとも。
「ああはいはい。尻尾じゃないんで。」で十分。
そういう構えや備えで、極悪人や小悪党、虎や狐という人災から避難しましょう。

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