時【エッセイ】六〇〇字
どう数えてみても、今年、古稀のようだ。
四十路の祝いで貰った、砂時計。零れ堕ちるさまを見つめ、残りの砂はどのくらい? “一割”? “二割”? と、尋ねてみる。三〇年前は、愉しく眺めていたのだけど。
歳を重ねるにつれて、「え、もう年末? 速いねぇ」と、師走の決まり文句に、なってしまっている。砂の残りが少なくなると、落下スピードが、加速度的に速まっていると、感じるように。いっそ逆さにして、時間を戻すことができるのなら、と思うけども—————。
『チコちゃんに叱られる』で、こういう問いがあった。「大人になると、早く一年が過ぎるのはなぜ?」と。答えは、「人生にトキメキがなくなったから」。「時間学」が専門の千葉大学の一川( いち かわ )誠教授は、そうおっしゃる。
なるほど。でも、“ときめき”に欠ける物理の授業は、長く感じたし、“ときめき”の夏休みや冬休みは、逆に短く感じた、けど?
いま毎日が、まさに“ときめき”の夏休み。いや、“生涯休み”。説が正しいとすると、砂は、“二割”くらいは、残っているかも。なら、心にちょっと、余裕ができるのだけど。
いずれにしても、砂の「崩落」を見るのは、気が滅入る歳になった。せめて、「浮揚」がいいと思いたち、探した。すると、あった。逆砂時計というものが。いま目の前で、赤い砂が昇っている。噴き出るマグマのように力強い。じっと見ていると、うまくいけば“三割”くらいはいけるかもと、思えてきた。
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