年金談義のジレンマと憂鬱

先々週くらいから老後のリタイアまでに蓄えが2000万円も要るの要らないのという話題で盛り上がっている。わたしの周りを見ていると反応は二極化しており「2000万円くらい貯めるのは自己責任、そもそも2000万で足りるんだっけ?」という自己責任派と「だいたい貯金どころじゃないし、最後は国が老後の面倒をみるんだよね」という無産派に大別される。

お蔵入りになるらしい報告書を読むと、年金給付と家計支出の差を蓄えを取り崩して埋める必要があるというのは話の枕に過ぎず、本論は老後へ向けた資産形成をどう促すか、認知症など本人の意志確認が難しくなる中で、どのように投資家保護を図るべきかについて論ぜられている。

自分も老後の寂しくなった時に日がな投資の勧誘を受けて、ちゃんと断れるかどうか自信はない。認知症にならなくとも変額保険やら何とか共済やら詐欺コインに騙される老人は少なからずいた訳で、仮に潤いある老後のための備えに投資が必要として、カモられずに投資できるところまで金融リテラシーを上げていくためにどうすべきかは大切な問題だ。そして金融リテラシーを持っていれば全くカモられないかというと、人間の心はもっと複雑で、詐欺に長けた輩はきっと、人の心の機微を知って取り入ってくるだろうと推察する。それでも最低限の金融リテラシーを持つことで、防げる悲劇は山ほどあるに違いない。

独り歩きしてしまった月5万足りないという話の出所は厚生労働省提出資料のP.24で、そのソースは総務省 2017年家計調査である。この数字の正しい読み方としては、これから老後の備えとして月5万円が必要になるという話ではなく、今の老人が平均すると貯蓄を平均2484万円くらい持っていて、月に約5.5万円くらい取り崩しながら暮らしているという事実に過ぎない。

この誤解にはいい話と悪い話があって、いい話としては老後に必ずしも5万円も足りなくなるとは限らず、貯蓄がなくとも収入に見合った慎ましやかな暮らしをすればいいということだ。悪い話はこれからの世代は持ち家比率が低く、非正規雇用で年金に入っていなかったり、転職を繰り返していれば大した退職金はもらえず、厚生年金もブツ切りとなって年金の給付はもっと少なくなるだろうから、今の老人並の暮らしをするために必要な蓄えは2000万円どころじゃ済まない可能性がある。

今回の件で怒っている人たちの反応を見て興味深く思ったのはプラカードに「年金返せ」と書いたり、報告書の撤回を求めていた点だ。これまで支払った年金を返してもらったくらいで老後やりくりできるのであれば苦労しない。これまで自分が払った年金保険料くらいじゃ老後数十年の生活を賄うには全く足りない。そして支払った年金保険料以上の給付を約束してきた仕組みこそ現役世代が老人を支える「賦課方式」であり、「年金返せ」と槍玉に上がっている仕組みなのだ。そもそもの問題は、少子高齢化と経済の低迷によって、これまでの賦課方式では豊かな生活を約束できなくなりつつあることだ。

リタイアまでに2000万円も貯蓄できる訳がない、「年金返せ」と怒っている人たちは、ぜひ「ねんきん定期便」を確認し「ねんきんネット」にアクセスして、これまで自分が払ってきた年金保険料と、これからもらえる予定の年金額を試算してみるといい。厚生年金保険料の会社負担分を除けば、年金は民間の個人年金と比べても遜色なく払った分が返ってくる仕組みだし、障害年金や遺族年金も考えれば、欠くことのできないセーフティーネットである。仮に給付予定額が期待する生活に十分といえないとして、そこで上げるべき声が少なくとも「年金返せ」ではないことに気付くだろう。
そして野党が更なる給付を約束したところで、更に年金資産を先食いするか、今でさえ重い現役世代の年金保険料を値上げするか、増税なり国債といった財政で賄うしかない。いずれも「年金返せ」の槍玉に上がるような選択肢ばかりではないか。かといって生活できない水準まで年金給付を切り詰めたところで、生活保護費が膨れ上がるばかりだ。いたずらに「2000万円不足」と切り取るのではなく、ひとりひとりの自分ごととして老後の生活と向かい合って、自分がどうすべきか、国と社会に何を期待するかを考えないと、いざ老後になって後悔したところで後の祭りとなってしまう。

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