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DXの壁は人材でもSIerでもなく雇用

日経のシリコンバレー支局からZoomでインタビューいただいた内容が新聞に載ったようです。支局の方はインタビューって現地でされるんだろうと思ってましたから不思議な経験というか、コロナ禍にあって色んなことが起こるんだなーって思います。

どうもシリコンバレーでブイブイいわせてる直販モデルのSaaSベンダーが何故か日本でだけはSIer経由の間接販売になっていて、それってどーゆーこと?という疑問に答える過程で、いろんな話をしたんですけれども、なんか見出しだけみるとSIerが悪くてDXが上手くいかないように勘違いされてしまいかねないし、わたしのコメントだけ見ると、まるでSIerが時代から取り残されてるようにも読めちゃうんですけれど、伝えたかったことは、そんな話じゃないんです。

実際お話しさせていただいたことというのは、いまさら内製回帰なんて流行ってるけれども、そう簡単に上手くいく訳ないじゃん?日本って1990年代の途中までは内製で、それの嫌なところをいっぱいみて1990年代に外部依存の道を選んだものの、そんな都合のいい話なんてどこにも転がってねーんだよって話をしたのですよ。

なぜ四半世紀前に自前主義を捨てたのか、そこをちゃんと振り返らない限り、また同じ失敗を繰り返すよーってエッセンスは、よくよく読むと記事の末尾の方に片鱗が残ってるんですけれども、限られた文字数の中で、これじゃ伝わらねーだろってなってしまっています。でも、そこまで載せようとしてくれているのは、すごいです。だいたい話としては理解できるんだけど、そこ触れちゃおしめーよってスルーされてしまう。

わたしは内製には一家言もっていて、3年前に炎上案件で苦しめられてからというもの、役所のWebサイトが軒並みイケてないのはSIerに丸投げしているからで、このままヤフーで諸々吸収しても電子政府をヤフー並の使い勝手にすることは絶対に無理、ちゃんとエンジニアを抱えて内製しないと無理、でも政府はそんなことやる気ないから、ここは一念発起してユーザー企業に移ってエンジニア部隊をイチから作るぞ!と今の会社の立ち上げに飛び込んだくらいで、DXとか何とかやり遂げたい訳ですよ、もちろん。

役所も何年か遅れでデジタル庁をつくって内製をやるとかやらないとか議論も出てきていて、この3年近く採用と組織作りで苦労した者としては、こりゃーとんでもなく茨の道じゃねーかと不安な気持ちにもなるのですが。イケてるUIやデータ分析をやるために内製が必要、SIer丸投げじゃ無理、だけど内製の組織なんかつくって大丈夫なの?というのは政府だけでなく日本中の数多あるユーザー企業の実情だろうし、ここで政府が塗炭の苦しみを通じて学ぶことができたならば、ちっとは議論も前に進むんじゃねーの?って期待もあったりします。

よくベンダー依存が問題になる時に、役人が技術を分からず丸投げしていることが問題だとか、悪徳SIerがロックインしているといった神話があります。まあ確かに仕様書ひとつ書けない調達原課がそれなりにあったりするのも事実ではありますが、それなりに中身が見えていたとしても、なかなか難しいものです。昔はレガシーシステムだから悪いという話もあって、まあ確かにベンダー縦割りでOSからデータベース、ミドル、コンパイラから違うレガシーの世界では、そうそう外から人を引っ張ってこようにも難しいことは確かではありますが、現実のところPostgreSQLにJavaでSpringとか、当たり前な構成であっても、そうそうロックインから逃れることはできません。

民間が技術を分かるエンジニアを抱えている情シス子会社がベンダーに発注する場合も、ベンダーをころころ変えたりはしないものです。複雑なシステムを理解するにはそれなりの時間がかかるし、学習曲線を考えたらそうそう変えるメリットがないからです。新しい案件は別の会社にやらせるとか、リプレースを機に合い見積もりを取るようなことはありますが、オープン系だからホイホイ発注先を変えられるものではありません。

それなりに仕様書が整備されている場合であっても、その背景にある設計思想まで、ちゃんと文書化されているとは限らないし、書き切るのは難しいものです。要件の定義までは準委任契約になっていると手間をかけただけ費用も請求される訳で、これで着手できるんだったらお願いします、細かいところは走りながら決めていきましょうという塩梅が合理的だったりもします。

内製であれ外注であれ、システムの開発が進めば、どうしても情報の非対称性が生じてしまう。受発注の関係があった方が少なくとも納品検収のプロセスが入るので折り目正しくはなるのですが、その文書が適切な粒度で記載されているか、何故そうなっているかまで読み解けるかというと、なかなか難しいものです。そうこうして複雑なシステムに属人性が入り込んでしまうことは、外注よりも内製においてより顕著ではあるのです。

1990年代にオープン系への切替を企図した際、日本の企業が苦労したのもここでしょう。いまのクラウドじゃないですが、経営者はオフコンなり汎用機からオープン系に切り替えれば費用を下げられるんじゃないかと考えます。ところが現場にしてみれば、これまで構築してきたシステムに愛着があるし、それらの技術を習得し、現行システムを構築してきた部下のキャリアパスまで考えると、そう簡単に頷く訳にはいかない。そうした際に米国では要員ごと入れ替えてしまう訳ですが、日本の雇用慣行ではそれも難しい。

オープン系で10年おきぐらいに技術を入れ替えていくのであれば、要員ごとバサッと入れ替えられるように中で人を抱えるのではなくベンダーに丸ごと頼んだ方がいいのではないか。折しもバブル崩壊後の不況期、固定費を変動費化したいという思いもあったでしょう。実際に蓋を開けてみると陳腐化したオープン系システムが塩漬けで残ったまま、法律上は契約を切ることができるけれども、データと業務を人質に取られて「ベンダーロックイン」されてしまった、コントロールを取り戻すためには内製に舵を切らなければならない、という訳でDXや内製への関心が高まっているのでしょう。

しかし思い出して下さい。そもそも日本が内製から外注に舵を切ったのは、レガシーシステムに固執する社内システム部隊を切り捨てることができず、オープン系への移行が遅れた反省からでした。ベンダー依存から内製に舵を切ったとしても当初こそ小気味よい成果が出てくるかも知れませんが、10年後、20年後には同じことが起こるでしょう。

結局のところシステムをつくるのは生身の人間であって、中で抱えようがベンダーに切り出そうが簡単に切り捨てたりはできないのです。ベンダーロックインとは結局のところ、雇用し続けることのリスクをSIerに切り出したつもりがデータと業務を人質に取られて、手を切れなくなっている状態です。そして国が従業員を雇用し続けることを義務づけている以上、とても合理的な経済行動です。法的義務がどうあれ腐れ縁と覚悟して継続的に新しいことを学び続けられる環境を提供するか、何かしら他に活躍の場を提供していく必要があります。ベンダーロックインが生じる理由はユーザー企業の丸投げでも悪徳SIerの陰謀でもなく「向う三軒両隣にちらちらするただの人」の仕事を守るために他ならないのです。

倒産企業の平均寿命が約四半世紀に対して、20過ぎで働き始めて70近くまで働かなければならない現代、ひとりひとりの職業人生は40〜50年です。ひとつの会社が抱え続けられることを前提に使い潰す働かせ方を認めては無責任でしょう。ひとりひとりが自分の知識をアップデートし続けて、キャリアを自己決定するためには計画と余裕が必要です。

これから政府がデジタル庁を創設するにあたって、人材確保や賃金水準の在り方など様々な課題に直面します。日本政府だけでなくユーザー企業、SIerも含めた「日本社会」として有為の人材を活かし、成長し続けられる機会を提供し、雇用の保護とデジタル変革とを如何にして両立させていくべきか、デジタル庁の挑戦は立ち上がる前から始まっているのではないでしょうか。


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