見出し画像

理想の学び方

私自身の話で言うと、もう20年以上も学生生活を続けているわけですが、ようやく学び方というものが分かってきたような気がします。

授業というものは、良い教師がいれば良い授業になる、というわけではなくて、良い教師と良い生徒がそろって初めて良い授業になるものだと思います。

それでは生徒の立場としてはどのような学び方が良いのでしょうか。

もういまから10年も前の話になりますが、大学に入って一年「心理学」の授業を取りました。そこで先生が始めに話したことは、

「心理学は過去の偉人、たとえばフロイトなどの勉強をしても意味が無い」

ということでした。心理学は発展させる方法によるのではなく、さまざまな切り口から挑む方が良い、また心理学の黎明期は直感によるようなものであって、科学としての体裁はまだ整っていない、とそういう話でした。

私はその言葉で頭に血が上ってしまって、それから10分近く200人が受けている大講義室のなかで先生と言い争いをしてしまったものです。

私にとって、すべての学問は、過去の知識の積み重ねであったからです。たとえ過去に得られていた知識が間違いであったとしても、その間違いの道筋を勉強しないで臨めば同じ間違いに陥ることもありえるだろうし、あるいは発想の転換も土台がなければできないだろう、という考えがありました。

この論争については結局私が納得しないまま終わってしまったのですが、のちに先生はこの時間は楽しかったとおっしゃっていました。

それからも、私には自分の無用なプライドから、よく先生が間違っていると思えば言い争いをしていたものです。しかし、先生は先生であって、その世界の牽引者で、もちろん私などくらべものにならないほど途方な知識を手に入れて、常にその分野を考えているような方々ですから、私が1-2時間考えたことで先生に反論しても、反駁されるに決まっています。

しかし、こうしているうちに、自分の中での学び方が変化してきました。先生に反駁され自分の間違いが明白にされることは自分にとってものすごく貴重な知識となっていることに気づいたのです。それで、先生の言うことは一字一句間違いがないかを考えながら聞き、もし間違いと思うことや不明瞭なことがあったら、すぐに質問する、というスタイルになっていきました。

また、先生が言うことが正しいと思っても、本当に正しいのかどうか、自分でいくつも例を作り、これが先生の言うことに合致した例であるのか、ということを何度も確かめることも、自分理解を助けることになります。

集団授業でこれをやると、周りの生徒から、いつも授業の腰を折る面倒なクラスメートと思われがちになりますが・・・。

非常に口調が厳しく、生徒に多少なりとも威圧的な言葉態度を見せる先生対しても、私は間違いや不明瞭なことを徹底的探しすぐに指摘する、という方針を貫いていました。それはそれはほとんど喧嘩みたいな言い争いも何度もしたものですが、授業終わりにはいつも先生と仲良くなれている気がします。

結果的に、授業中に喧嘩まがい言い争いをした先生たちが、今でも精神的にも学問上でも支えてくれる先生になっています。

学問という巨大なものに本気で立ち向かうという意味では、先生も生徒も同じ人間なんだと思います。

ここから先は

0字

¥ 100

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

記事のお読みいただきありがとうございます。 即興演奏を通した様々な活動と、これからの執筆活動のために、サポートしていただけたら幸いです。