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【雑記】半年ぶりくらいにお酒飲んで寝たら妙に現実感がある悪夢を見ておっさん同士のケンカって意味ないなと思った話

今回はこんな話です。

・現状から最大限嫌な性格な自分になった夢を観た
・駅前の大人のケンカを観て思ったこと
・結局怒りの感情に任せて行動してもあまり意味がない
・最悪な夢を観た私は朝からコーヒーを飲んでまったりすることでメンタル回復

私は毎晩寝ると夢を観るタイプです。現実世界に疲れている私は、疲れない夢の世界での行動は映画を観ているような楽しさがあるので好きな方です。

で、話は少し戻ります。今日の私は金曜だしたまにはビールでも飲んでみるかと思いエビスの500ml缶を買い、家に帰り飲んでまったりいい気分になったところで寝たわけです。そうしたら妙に現実感がある嫌な悪夢を観てしまいました。

現状から最大限嫌な性格な自分になった夢を観た

夢なのでところどころ設定は破綻してますが、ざっくり言うと、

・自分の家に友人がいっぱい来た
・そこで自分は友人とのコミュニケーションで最大限嫌な対応をした(めっちゃ切れて怒鳴るみたいな)
・友人たちは何も言わずに徐々に帰っていった
・帰った後は家族にもあたりちらかし、さらに自分勝手なことをした

多分なんですが、帰り際に駅前で観た、サラリーマン風の大人二人が交番の前で大きな声で取っ組み合いケンカ?をして警察官に事情聴取されていた光景を観たのが、悪夢を観た原因だと思います。結構、その日にあったことが夢になることが多いです。

なんで辛くなったのかというと、夢とはいえ友人にも家族にも自分感情に任せて自分勝手な態度をとってしまったことに起きたらなんか辛くなりました。

怖いと思ったのは現実の自分を最大限嫌な性格にするとこうなる、という夢だったので現実でも条件さえそろえば起こってしまうことです。今ではないですが10年後あなたはこうなる可能性があるみたいなリアル感が嫌でした。

友人たちは何も言わずに帰るところもリアルで、そういうときってまだ友人たちから注意されたり怒られたりするほうがまだましだと思っています。呆れられて「コイツには何を言っても無駄だ」みたいに思われるのが、「何も言われない」という行動に現れています。怖すぎます。

さらに加えて自分を支えてくれる家族にも自分勝手なふるまいをしているわけです。これも自分がやらかしてしまえば起きうるような話なので、怖い話でした。

駅前の大人のケンカを観て思ったこと

私が見たのは事が起こった後だったので、状況はわからないのですが、聞こえてきたのは警察官とケンカしてた1人が話している様子で、その人は大きな声で「私はこんな被害を受けてるんですよ!警察官はこういうのを見逃すんですか!!!」みたいな警察官にも当たるような話し方でかなり怒っていました。元気な人だなと思い私はビールを買いに行ったわけですが、買った後もまだその人は怒鳴っていて、また元気な人だなと思いました。

結局そのケンカを見てみっともないなと思ったり、生きるのが下手人だなとか、自分でもそんなことがあるのかなとか潜在的に思ってたんでしょうかね?

結局怒りの感情に任せて行動してもあまり意味がない

仕事をしていていると怒りがこみあげてくる場面というのはあります。大抵は他人が絡んだ時怒りの感情になるわけですが、私の場合は怒りの感情を持つのは疲れるので持ちたくありません。なのでそうなる危険を察知したらまずは相手と距離をとるようにしています。まぁ冷静になりましょうということなんでしょうか。

例えば、仕事を他人におまかせしたり、私はここまでやるんで後はあなたにお願いしますとか、口頭だと指示がわからないので文章にしてくださいとかですかね。そのまま議論を進めても時間がかかるばかりなのでいったん距離をとったり時間を置いたりしたほうがいいことを知っています。

あとは自分の不要なこだわりを捨てることは怒りの軽減につながると思います。

ケンカの話だと「警察官はこうあるべき!」みたいな考え方はやめたほうがいいと思います。警察官なんてただの仕事なんだから、崇高な使命みたいなのを求めるのは違うのかなと思います。普通の警察官が「今日も平和に面倒なことがなく終わらんかなあ~」なんだから、立派な志を持って警察官をやる人が凄い人なわけです。凄い人は少ないから凄いわけで、その辺にいる警察官が凄い人である確率なんて低いものです。そんな警察官に「お前は本当に警察官か!俺は被害にあってるぞ!」なんて言ってもしょうがないとおもうんですけどね。

ケンカして怒っていた人は今までどういう人生を歩んできたのかが気になりますね。40後半から50歳台くらいな感じの人だったのでそれなりに人生経験を積んでるはずです。年齢を重ねるとそうなってしまうのかと考えると怖いので自分も注意したいですが、まぁもともとそんな感じの人なんだと今は思っておくことにしましょう。

他人に対して「こうあるべき!」みたいなのはほんとに必要なこだわりですかね?なんか他人がどう行動するかなんてのを制御しようなんて無理なんだからさっさと捨てたほうがいいこだわりだと思います。自分に対して「こうありたい」の思うのはいいと思いますけど、他人に強制するのは無駄だと思います。

SEの仕事でも仕様書や約束事を元にプログラムを書いていたりするわけですが、突然の仕様変更だったり、やっぱりその機能いらなくなった、というのは日常茶飯事です。今日もそんな話がありましたよ。だた、そんなときにいちいち「最初にこういったじゃないですか!」と怒るのはあんまり意味がありません。大人のやることは「最初にこう言いましたよね?ではその分お金は貰いますね」だと思います。

要するに感情のままに怒るのは楽なんですが、あんまり意味はないということです。怒る感情自体が起きるのは私も怒りっぽいのでわかるのですが、結局自分が感情に任せて怒ったところで事態が好転することは少ないと思っています。

それだったら、相手と少し距離をとって少しでも事態がよくなる方向に提案・誘導したほうがよくないですかね?というのが今の私の結論です。

こだわりって難しいですよね。すべてのこだわりを捨ててしまうと「いったいなんのために生きているんだ?」と無気力状態になるし、かといって持ちすぎていると生きづらくなってしまいます。

仕事の話だと、ここは譲れるけどこのこだわりは譲れない、くらいの感覚ですかね。まぁいってしまえばバランスよくいきましょう。

最悪な夢を観た私は朝からコーヒーを飲んでまったりすることでメンタル回復

ということで週末なのにいきなり最悪な目覚めをしたわけなので note にでも残しておこうかと思ったわけです。

私のメンタル回復方法は大体決まっていて、

・体を温める(コーヒーを飲む、こたつに入る、なんか食べる、温かい服を着る。お風呂に入る、外を歩くまたは走り回る)
・今だけに集中して過去と未来は忘れる(呼吸を意識する、ぼーっとする、寝る)
・音を遮断する(ヘッドホンをする、好きな音楽を聴く、好きな動画を見る)

これらをまとめてやってしまえば大抵は復活します。精神的な面もありますが物理的な変化でなんとかするほうが多いような気がします。

私の場合はいろいろ抱え過ぎて考え込んでしまうのが大体根本的な問題なので、それらを忘れていったんすべてを手放し、手に持てるモノだけをもう1回持つってイメージです。


結局、昨日ケンカしてたあの人達はどうなったのでしょうかね。本人たちは自分は被害者で不幸な人だなとか思っているんですかね。それともお金持ちでいい仕事をしている上級国民な方なのでしょうか。後者であることを望みます。

とりあえずここまでで。1つの考え方としてご参考ください。

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