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(2)英語を完全に諦めていた人間が「使える」の扉を開くまで

前回からの続きです。まだの方はこちらを。

⑥30歳から始めたサーフィン → スキルの上達に必要なことを学ぶ

そうして30歳になり、何か新しいことに挑戦しようとサーフィンを始めます。

最初は週イチで通っていましたが、せっかく海まで行っても波がない日もしばしばで、それでは全く上達せず。

それで思い切って海のそばに引っ越します。仕事は午後から(1時半→9時半が定時)なので、毎日午前中は海に入れることに。

その結果、半年経ってもできなかったこと(波に乗って、ボードに安定して立つこと)が数日もせずにできるように。

寝そべっていた状態からボードの上に立てるようになると、視界が一気にひらけました。そうなるともう笑いが止まらないぐらい楽しい。 

スキルを上達させるためには、一気に時間を投入するほうがいい、そうしてレベルが上がってしまえば、得られる喜びはケタ違いになる、ということを学びます。

⑦32歳で大怪我 → 一歩間違えたら死んでいたと言われ、目が覚める

2年が経ち、毎日続けたおかげでサーフィンも中級者といえるぐらいにはなったかな、というところで他人のサーフボードが目に当たる、という大きな事故に遭います。

病院で検査を受けたところ、右目の周りの骨が粉砕骨折しており、その影響でものが2つに見える状態に。

すぐに腰の骨を削って、それを目の周りに移植するという手術を受けて、視神経を邪魔していた骨のかけらを取り除いてもらいますが、

術後2週間が経って包帯が取れても、ものが2つに見える状態はまったく変わらず。

お医者さんには「原因がわからない、一生残るかも」と言われ、この世の終わりのように落ち込みます。目だけは良かったのに(左右 1.5)。

ただその時に「ある意味ラッキーだった、打ちどころがほんのちょっとずれていたら失明してただろうし、衝撃の強さを考えたら、当たりどころが悪かったら死んでいたっておかしくなかった」

と告げられ、目が覚めます。

「いつか本気出す」と思いながら、その機会さえなくあそこで人生が終わっていたかも知れない。

もちろん人がいつか死ぬということは、知識として知っていました

が、どこか自分とは無関係なもののように感じていた、でもそうじゃなかった、死はどの瞬間にも誰にも訪れ得るんだということ。

初めて「死」を意識した瞬間でした。

これがきっかけで、人生を後悔なく送りたいと考えるように。

⑧地道なリハビリの結果、目が元に戻る → 目には見えなくても、やっていることはしっかり積み重なっていることを知る

退院後は目のリハビリを。といっても、一日に数回いろんな方向に目を動かす、というとっても地味なもの。

別にきついわけでもなく、本当にこれに効果があるのかと不安になりました。

が、辛抱強くそれをやり続けたところ、1年後、目が以前のように元に戻ったのです。

体にとって「いいこと」をやっていれば、進歩はなかなか目に見えなくても、やったことは着実に自分の中に積み重なり、いつか花が咲くんだ、と知ります。

⑨Oasisのライブでリアムが職場放棄 → 英語がひとことも聞き取れなくてショックを受ける

「いつか目が元に戻って普通にものが見られるようになったら、この目を使って何かに本気で打ち込みたい」とは思っていましたが、

では何をやろうか、というのは決まっていませんでした。

そんな時に当時大好きだったOasisというバンドの日本ツアーが決定します。それを知ったのが遅かったため東京は売り切れで、わざわざ福岡までライブを見に行くことに。

ライブは素晴らしかったのですが、それも途中まで。6曲目の途中、突然ボーカルのリアム・ギャラガー(トラブルメーカーで有名です)が、何かに怒ってステージ裏に引っ込んでしまいました。

しばらくステージで待っていた他のバンドメンバーも下がり、客だけが残されました。それから20分ぐらいして、リアムの兄のノエル(Oasisの曲のほぼすべては彼によるもの)がステージに帰ってきます。

何が起こったかのを説明するのでしょう。当時の英語のリスニング力はゼロでしたし、英語から離れて10年が経っていましたが、

そうは言っても英語は受験で得意科目だったのですから、集中して聞けば、いくつかの単語ぐらいはとらえられるはず、

それをつなぎ合わせれば、ノエルが言っていることもある程度わかるのではないか

そう考えて全集中して彼の言葉に耳を傾けました。

でも…

聞き取れた単語はゼロでした。

さすがに my brother とか sorry ぐらいは言っていたはず。でも1単語も聞き取れない。

リアムは結局帰ってこず(わざわざ飛行機で福岡まで行ったのに!)、残りの曲はノエルが代わりに歌い、ライブは終わりました。

が、リアムが途中で帰ってしまったことよりも、「ノエルの話した英語が1単語も聞き取れなかった」ということがショックで、帰り道、なんでこれほど英語ができないのだろうと自問します。

浪人時代も含め、あれほど時間を費やして勉強したのに、これは一体どういうことなんだと。

⑩「もう一度英語をやろう、今度はちゃんと使える道を自分を実験材料にして探そう」と決意

そこで自分が受けた英語教育に対する怒りが湧き起こり、気持ちが固まりました。

こうなったら自分で「本当に英語を身につけられる方法」を見つけよう。

そしてその道のりを、学習者としての目線、そして教師としての目線の両方からじっくり観察しておき、

自分の試みが成功したら、いつか多くの人に伝えようと。

すでに33歳。英語を完全に諦めてから10年が経っていました。昔学んだこともほとんど忘れてしまったようなところからのやり直しです。

⑪立ち読みした本の一節を読んで電流が走る → 「シンクロ読み」を思いつく

でもどうやったら英語が聞き取れるように、話せるようになるのか。その方法を教えてくれる人はいませんでした。

その方法を探るべく、古本屋で立ち読みをしていた時にたまたま手にとった、長谷川滋利さん(元野球選手)の本の中の一節を読んで、体の中を電流が流れたようなショックを受けます。

そこから「シンクロ読み」というトレーニングを思いつき、これに賭けてみようと決めます。

⑫3ヶ月必死に取り組んだ結果、TOEICのスコアが460→920点に。

映画を題材に、そのシンクロ読みのトレーニングに本気で取り組んだところ、3ヶ月後に受けたTOEICでは920点が取れていました。

20代で一度受けさせられた時の結果は460点でしたから、スコアは3ヶ月で倍になったということ。

中でもリスニングは495点中485点。その3ヶ月前までリスニング力はゼロだった人間がです。

これが「英語がある人生」を手に入れるきっかけとなりました。


そこまでの道のりを振り返ってみると、それぞれに全く関連がないこと、英語の上達にも結びつくとは夢にも思えないようなこと

大学を留年したこと

サーフィンを始めたこと

大怪我したこと

などが、一本の線でつながっていることがわかります。

死を意識した経験、そして一年に渡るリハビリによる勉強への飢え、自分が受けた英語教育に対する怒り、Oasisのリアムに対する怒り(笑)これらのおかげで3ヶ月「本気で」取り組むことができたわけです。

そもそも振り返れば、大学入試で燃え尽きずに4年で卒業していたら、塾の教師になることはなかったでしょうし、

もしそうだったら「英語教育に問題があったのでは?」という疑問が湧くことすらなかったでしょう。

大学7年の時に父親が定年を迎えて両親が田舎の九州に帰ることになった、これも今から考えると本当にラッキーでした

これがなかったら職を探さなければならない状況に追い込まれることもなかった

また、ニートから脱出できず、何をやっても3日坊主だった経験があったから、英語をやり直そうと思った時に、

どうせやる気は長く持たないだろうから、せめてやる気がある間は本気でやろう、という戦略を取れたわけです。

そしてサーフィンを始めなければスキルの上達のために一気に時間を投下することの大切さに気づけなかったでしょうし、

そして何より、サーフィンをしていなければ、あの死を意識するほどの大怪我をすることもなかったでしょう。

もしそうだったら「いつか本気出す」と思いながら、結局それをしないままズルズルと生きていたかも知れません。

あるいはOasisのライブのことをもう少し早く知っていれば、東京会場のライブに行けたはずで、そうすればリアムは途中で帰ることなく、最後までちゃんと歌ったのですから

そうだったらあの怒りも生まれなかった

つまりこれらの内のどれか一つでも欠けていたら、自分は恐らく英語が使えるようにはなっていなかっただろう、ということ。

そう考えると、そのときは無駄、意味がないと思っていたすべての点が、一本の線でつながっていることがハッキリと見えるのです。


いかがでしょうか。あなたのここまでの歩みでできた点は、一本の線でつながっていますか?

今はまだそうとわからないという方も、ジョブズが言うように、後から振り返ってはじめてわかるものです。

You can’t connect the dots looking forward;
you can only connect them looking backwards.

「将来を見て点をつなげることはできない。振り返って初めてつなげることができるのだ。」

もし現在「英語を身に着けよう」としているなら、その取り組みがまた一つの大きな点になるかも知れません。

まぁ英語に限りませんよね。自分のケースのように、大学を留年したこと、そして死を意識するほどの大怪我など、

その時には人生にとってマイナスでしかないと思っていたようなことですら、振り返ったら大切な点になっている、ということだってあるのですから。

Believing that the dots will connect down the road will give you the confidence to follow your heart even when it leads you off the well worn path, and that will make all the difference.

「(今やっていることが点となり)、いつかその点は一本の線でつながる、と信じていれば、人とは外れた道を歩むことになることがあろうと、自分の心に従う自信を与えてくれるだろう。そしてそれが、すべての違いを作るのだ。」 


最後までお読みいただき、ありがとうございます。

ではそこからやり直して、日本にいながらの勉強で英検一級・TOEIC満点を取るまでにどう進めたか、こちらをご覧ください。

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