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価値観の違いは人間の個性だ

突然ですが、あなたの周りに嫌いな人はいますか?
どんな集団、どんな職場であれ部署であれ、自分と合わない人が一人や二人は必ずいるものです。

しかし、そうかと言って嫌いなその人は価値のない人間ではないはずです。
その人にはその人なりの価値というものがあるものです。

しかし、人は自分の価値観で他人を判断します。
そう、いつも判断基準は自分の価値観です。

価値観の違いがすべての争いごとの発端となっていると言っても過言ではないでしょう。
今回のこのnoteでは価値観がもつ功罪についてお話したいと思います。

価値観の押し売りほど迷惑なものはない

価値観の違い。
人は、そもそも価値の在り処がそれぞれ違います。

何に価値を感じるのか?

ほんとにそれを楽しいと感じているのか?
ほんとにそれで納得できるのか?
ほんとは自分にとって役に立つものなのか?
ほんとは腹が立っているんじゃないのか?

思い当たることが、ほんとの自分の価値観です。

価値観の押し売りほど迷惑なものはないです。
SNSなどの誹謗中傷がそうです。
他人は自分とは違うものだという認識が麻痺している。
自分の価値観だけで迷わずものを言います。

わたしは営業マン時代に嫌々管理職にさせられた過去があります。
現場が好きだったわたしからすれば、管理職は人間関係が絡む面倒な立場でしかありませんでした。

当時のわたしは若かったし、今より少々とがっていたので、当初は肩に力が入り自分の班員に何とか売り上げを上げさせたくて、自分が持つ経験やテクニックを惜しむことなく伝えようとしていました。

ところが、なかなか班員の心には届かない。
つまらない自分のプライドが邪魔をして聞く耳もたないだけだと思っていました。
「だからコイツら売れないんだ…」とまで偉そうに思っていました。
今思うと、思い上がりでしかありませんでした。

例えわたしが売り上げを上げてきた人間だとしても、同じことは出来ないし、同じことをすることに意義や価値を感じないのは当り前です、自分とは違う人間なんですから。

営業では、スランプに入ると上司の価値観を押しつけられてしまうことがあります。
他人の価値観を受け入れられなかった場合、増々その人間はだめになります。

出来ないことをやらされることほど苦痛なことはありませんから。
誰でもやりたくないことをやりたいとは思わないでしょう。

それは責めることではないし、褒めることでもない。

このnoteもそうです。
人は人、自分は自分です。

もちろん、読んでいて共感することはありますが、だからと言って価値観の押しつけはごめんです。
逆に押しつけたくもないと思っています。

だから、わたしは宗教には一切入りたくはありません。
しかし、宗教を否定するつもりもさらさらありません。
入っている人を何とも思わないし、普通に付き合いも出来ています。

価値観の違う人からすれば、自分が言っていることはただの独り言にすぎないかもしれないです。
ついつい独り言を言ってしまいますが… 笑

ネットを商売のツールとだけと考えている人からすれば、このnoteの世界は暇人の集まりで価値のない無意味な存在場所かもしれません。
それを教えたくて、わざわざ遠回しにコメントしている暇人もいます。

逆にその人に価値を感じるのか?ということですが、それは価値観の違うその人からすると、ただの負け惜しみになるのでしょう。

価値観の違いを受け止める

価値の在り処が違う人に自分の価値を押しつけても何の意味もありません。
ただの独り言、自己満足です。

相手の価値を自分の価値観で決めつける。
いじめや誹謗中傷が正にそれでしょう。

好き嫌いだけで攻撃する。
それが幼稚であることに本人は気づかない、気づけない。
だから、いじめはいつまで経ってもなくならない。

いじめや誹謗中傷は価値観の押し売りです。
それは子供だけじゃなく、大人の世界にもあります。
子供は大人を見習ってやっていると言う学者さんもいます。

営業マン時代に、ほんとによく売るけれど人間的に問題がある人を何人も見てきました。
それが、その人の人間的な価値です。

そいつと付き合いたいとは思わなかったけれど、いい悪いは別にして価値はあると思います。
売る力、営業マンとしての価値は間違いなくある。

しかし、それだけの話です。
営業マンじゃない人から見れば、ただの嫌なやつでしかない。
それが人が持つ価値観というものです。

価値観の違いを受け入れることはなかなか難しいですが、受け止めるだけなら何とかなるかもしれません。

もしも、この記事を誰かが読んで嫌な気持ちになったとしたら、それこそわたしの価値観を誰かに押し付けたという証明になるのかもしれませんね。


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