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読書感想文:キケロ『老年について』

 キケロと言えば、言わずと知れた古代ローマ最高の文人と名高く、また共和制末期の重要人物の一人である。

 前回はセネカの『人生の短さについて』を読んだので、まずはキケロとセネカを軽く比較してみる。共通点を見るならば、二人とも高貴な生まれでは無かった。それから二人とも文人であり哲学者であり政治家であった。そして権力者によって死を強制されるという最期も同じである。

 次に違いについて考える。まずは当然ながら生まれた時代が違う。キケロは共和制末期の人間であり、カエサルとその養子アウグストゥスが帝政を打ち立てんと革命を遂行した、まさに激動の時代を生きた人だった。それに対してセネカは皇帝ネロの補佐役を務めたことでも知られているように、帝政が確立した後のローマを生きた人である。

 それ以外にも種々の違い(家庭生活、子の有無等)はあるのだろうが、私が思うに二人の最大の違いは、政治に対する関心の度合いであったように思われる。ストア派の哲学者セネカにとって最大の関心は哲学の研究にあった。ローマ市内への穀物供給管理者という顕職にあった友人に向かって、そんな仕事をしていても幸せになれないから早く辞職して閑暇の中で哲学の研究に勤しめ、と助言をする人だった(ちなみに友人に対しそんな助言をしておきながら、セネカは執政官として皇帝ネロの元で政治に大いに関わっていく)。そんなセネカに対しキケロはどうであったか。

 キケロの生涯を考えると、彼の関心(関心と言うより熱情か)は哲学よりも政治により多く捧げられたように思う。キケロは元老院が主導する共和制を熱烈に信奉した人であった。カエサルが内乱を終結させ独裁を確立して以降、キケロはもう自分の出番は無くなったと失意の中で著作活動を開始するが、カエサルが暗殺された3月15日以降はそれらの著述活動を停止し、活発な政治活動を再開している、つまりキケロにとって最大の関心は哲学による世界の真理の探求ではなく、共和制の擁護にあった。

 そんな二人の違いを踏まえた上で、キケロ『老年について』を読んでいく。キケロが老化という普遍的な大問題について、どう老人になる前に備えるべきか、また老人になってからとう考えるべきかについて教えてくれる書物である。

 ちなみに前回読んだセネカの『人生の短さについて』で度々批判の対象となるのが、多忙な職業生活の末に老いた人々だ。セネカはこの人々に対して、長く生きた人ではなく長く存在しただけの人、つまり他人のために時間を浪費し自分自身のために時間を使わなかった人であり、老人にも関わらずほんの僅かな人生しか生きてこなかった人、と厳しく批判する。 では、キケロは老いについてどう考えていたのだろうか。

 『老年について』を著した時、キケロは62歳、この書が捧げられたアッティクスは65歳であり、二人とも古代ローマではまもなく老年とされる年齢であり、現代日本でもアッティクスなら前期高齢者に分類され、定年退職を迎える年齢だ。

 本書は古代ギリシャの哲学書に倣い、対話篇という形式で書かれている。過去の偉人たちに架空の会話をさせ、彼らの口から自身の主張を語らせる。この書でキケロが借りたのが大カトーの口だった。大カトーはキケロが理想とした共和制が確固たるものだった時代のローマの政治家であり、将軍であり、文人だった人物だ。

 本書の主な構成は、老年が辛く暗いもの、厭わしいものとされている原因を①仕事や趣味の活動が低調になること②肉体を衰えさせること③快楽を奪い去ること④死が間近であること、の4点とし、それらに対し反論を加え、老年には老年の楽しみがあり、それは決して損なわれないことを説いている。

 ②肉体の衰えさせることについてキケロが加えた論駁は、とてもローマ的で美しい。少々長いが引用する。




「今あるものを用い、何をするにしても自分のもてる力相応のことをするのが、ふさわしい行動というものだ」
「力を適切に用い、各人がもてるかぎりの力で努力しさえすればいいのだ。そうすれば、力への過度の憧憬にとらわれることもない」
「人生の走路は定まっており、自然の道は一本道で折り返しがない。生涯のそれぞれの時期に、その時期にかなったものが与えられている。例えば少年期のひ弱さもそうだし、青年期の峻烈さも、すでに安定している中年期の重厚さも、老年期の円熟もそうだが、それぞれに
その時期に収穫しなければならない自然の恵みとも言うべきものがあるのだ」


 自然の与えてくれる恵みを讃え、人間の慢心を戒める。古代ローマの理性・精神が見事に表現された言葉で、流石はキケロだ。

 ④間近に迫った死についても、キケロの理性は死の恐怖に見事に対処する。キケロの書いた文書によると、ローマでは死と魂の関係について二つの見解があったようだ。一つは魂の永遠を信じる見解であり、死んだ後人間の魂は神々の住まう天に回帰し、そこで既に死者となった者たちと再会し、永遠の生を得るという見解である。キケロはこちらの見解を支持してたが、もう一つの見解は、死ねば人間の魂は無へと還り、何もかも残らないという虚無的なものだった。

 だがキケロは魂の不死を信じない見解が正しかったとしても、恐れる必要は何もないとする。




「たとえ我々が不死の存在とはならないにしても、人間にとって各々に与えられた時にこの世を去るのは望むべきことなのだ。何故なら、自然は、他の全てのものと同様、生にも限度というものを定めているからだ」


 またキケロが真の愛国者であると感じられる文章もある。キケロはローマ軍団の兵士たちに言及する。死地に意気揚々と敢然と向かっていったローマ軍団の若者たち、学問のない彼らですら恐れなかった死を、学のある貴方たち老人が恐れるのかという、厳しい指摘だ。

 本書を読んで感じられたのは、老人の幸せとはなんであろうか、ということだった。キケロが本書で度々言及しているのは、老人の幸せは若者を教え、導くことである。




「若者の情熱に囲まれた老年ほど喜ばしいものが他に何があるだろうか」


 セネカなら逆の見解を述べるだろう。彼の見解によると、老人が他人のために時間を使うのは少ない人生の残り時間を更に目減りさせ、哲学の探求に充てる時間を少なくする愚行だ。
 これはどちらが正しいと思うかは人によって異なるだろう。定年を迎えても後進の育成にあたりたい人もいれば、自分の研究に没頭したい人もいるだろう。

 冒頭にも述べたように、このキケロとセネカの違いには二人の政治に対する関心の違いも反映されている。

 だがセネカのようにあまりにもストア派的に孤独な生活を送ることができる人間は少ないだろうとも思う。事実、老人の社会からの孤立化は現代日本でも大きな社会問題となっている。

 キケロは文中で否定するが、古代ローマでも現代日本と同様に、老人は周囲の人間から嫌がられる存在であった。キケロも本文中で、




「制心があり、気難しくなく、人間性に富む老人は耐えやすい老年をおくり、逆に横柄さや人間性の欠如は、どんな年齢であろうと疎んじられる」


と述べている。

 キケロはまた自然の定めた理に従うことを説いているが、何の備えもなく老人になることを説いている訳では無い。冒頭に本書の結論が提示されている。




「老年に対処する最適の武器は諸々の徳の理の習得とその実践にある」


 また老人の威信について、こう述べている箇所もある。




「老人の威信というものは、白髪になって皺ができたからといっていきなりつかみとれるものではない、それまでに立派に送った生涯が最後の果実として受け取るもの、それが威信というものなのだ」


 つまりキケロはただ漫然と生きてきただけでは、豊かな老後は送れないといっているのだ。当たり前といえば当たり前の言葉だが、身につまされる。
 自分自身のことを述べるならば、私も肉体のピークは過ぎたように思う。大学生の感覚で飲み食いして気持ち悪くなることが今年に入って幾度かあった。
 仕事でも気づけば後輩を指導する立場になっていたのに、未だに自分の能力不足に悩む日々である。
 仕事の能力不足ならまだしも、人間的美徳の欠如も変わらない。
 時間は早々に過ぎ去っていくのに何も成長できていない。このままではキケロのいうような惨めな老人になってしまうと恐れるばかりだ。

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