記事一覧
旦那さんは双極性障害(9)
看護師さんは早口で
病院の移転の方法をアドバイスしてくれた
それは簡単な方法でしたが
やはり素人の私にはない発想でした
なんで今まで相性の悪い先生に
しがみついていたのか…
自分で自分を責めました
自分の勇気の無さが
ここまで旦那さんを悪化させてしまったんだ
今思えば
その先生が悪い訳ではない
ただ、精神科のドクターと
患者の相性は、病気を改善するも
悪化させるも薬以上に大事な
旦那さんは双極性障害(8)
ボロボロになった旦那さんは
病院に行く事すら出来なくなりました
まず、病院の先生が嫌いでした
そこに問題があるとはせず
私が先生とが話をして
薬を貰って帰る。
そんな日が続きました。
それでも少し調子がよくなると
旦那さんを無理やり病院に連れて行きました
「いつも通りです…変わりません」と
言う時は鬱状態
饒舌にお喋りをして
でも、診察が始まるまで
30秒も
旦那さんは双極性障害(7)
退院したら大暴れするかと
思っていたら
一気に鬱方向へ…
このスイッチオンオフって
ほんとに突然です
部屋にこもって
1日中、お香を炊いていました
部屋の中は煙で充満していて
もうただならぬ状態
食事を運ぶだけになりました
フラフラと出てくる様子は
まるで死神のようでした
ある早朝の
4時頃、玄関のドアの音が
ガチャ、と聞こえました
新鮮な空気でも吸いに行ったのかな…
旦那さんは双極性障害(6)
入院で私は
少しは休めたかと言えば
全く落ち着く事はできませんでした
まず 喫煙は本数も時間も
決まっていたので
電話をかけたい時は
看護師さんに
誰に何の為に電話をしたいのか
言わなければいけません
躁状態の旦那さん
誰かとおしゃべりしたくてしかたありません
たばこの数も通常の倍近くなるので
決められた一日5本なんか
満足するはずがありません
まず、私に電話をしてきて
たばこ
旦那さんは双極性障害(5)
再発をしてから5年が経過した頃には
1年間に1回は 病気は顔を出し始めました
病院のF先生とは
旦那さんとは相性がよく
信頼関係も出来ていたので
症状が出ても薬を飲めば安定まで早かった
しかし
総合病院ゆえ F先生は転勤
次の担当医 S先生は
まだ若く それでも次期 病院院長
冷静ではあったが 冷たかった・・・
なんとなく折り合いも悪く
出される薬も
鬱に対する薬と躁に対する薬が
同
旦那さんは双極性障害(4)
最初の発病から2年ほど再発は無く
すっかり病気の事は忘れていました
だけど
それはある日突然 姿を現しました
「それ」とは
*眠らない
*不機嫌
*電話をありとあらゆる人に
時間は関係無くかける
*仕事を休む
*高価な物を買う
*買い物リスト、やりたい事リストを書く
*タバコの数が異常に増える
*真夜中でも出かける
他にも意味がわからない事ばかり…
え… うそで
旦那さんは双極性障害(3)
初めての精神科のお薬は少量でした
そして すぐ落ち着いていきました
2週間ほどで通常の状態へ
こんなにあっさりと薬が効くんだ・・・と安堵
落ち着くと 普通の生活に戻り
すっかり病人だということを忘れさせてくれました
勿論 その後の通院など行く訳もなく
この病気の厄介さなど まだまだ知ることは
できませんでした
旦那さんのお父さんも若い躁鬱病で
職場や周りに人を振り回した話はお義母さんから何
旦那さんは双極性障害(2)
旦那さんに奇行は
日に日にエスカレートしていき
私の手には負えなくなりました
旦那さんのお父さんの助言があり
なんとか本人も病院へ行くことを
承諾してくれました
今ではうつ病など 精神病の本は
本屋さんに行けば
棚一つ二つ占領するほど並んでいますが
30年ほど前です
まだまだ隠しておきたい病気
知識も認知も少なかったです
市内の人気の少ないところにある病院を選びました
その時の主治医
旦那さんは双極性障害(1)
旦那さんは双極性障害30年以上
結婚してすぐに発症しました
この病気の恐ろしさは
とことん周りを巻き込んでいく事
初めて発症した1990年から
今日までのお話をしていきたいと思います
この病気は私に何を伝え、何を教えようと
しているのか…。
この物語は家族にこの病気を持っていらっしゃる方に向けて発信しています。
旦那さんの異変は
長男が1歳過ぎた春頃
1日置きに徹夜をするような仕事を