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#2壊すまちづくりから壊さないまちづくり〜ハレとケへの思い(宮崎市の古民家 黒木邸)

2017年の春、宮崎市瓜生野にて昭和24年生まれの古民家黒木邸との運命の出会い。当時のM図建築工房は私を含め3人の会社、技術には自信があっても全くもって営業力もない小さな工事をひたすらこなすコテコテの職人工務店であった。

そこに知り合いの大手リフォーム会社の担当者からの電話「うちでは出来ない物件が出たからから大西くん家主さんの話を聞いてもらえんかね?」と話が来た。大手さんが出来ないのになぜうちが?とか思いつつも当時40代前半、興味津々で現地へ赴いた。


築75年の古民家

なるほど石場建ての民家、瓦葺で南側にはいい感じで畑がありなんか老朽化は見られるがどこかキュンとくる部分がある(いい人と出会う感覚)石場建てとは現在の鉄筋入りのコンクリート基礎と大きく異なり石の上に構造上重要な柱がポンとのっているいたってシンプルな構造である。

縄文時代からつづく伝統工法(石場建て)

但し昭和20年太平洋戦争敗戦によりアメリカの大きな影響を受け建築基準法が制定されたのが昭和25年ここから大量生産型のスクラップ型住宅づくりが主流となっていく。空襲や復興のために住宅づくりにスピードが求めらてた時代背景からしょうがないと言えばどうしようもないが、合わせて何百年何千年と続いた伝統工法が減少しかつ技術を持つ大工も減っていった現状は現代の僕ら大工も大きな影響を受けている。

因みに黒木邸は建築基準法が制定される一年前に建てられた。これも黒木家の歴史を語る上で重要なポイントであろう。

現在は柱や梁の組み立ては工場生産(プレカット)が主流であるが、ありがたい事に僕らの世代はギリギリ自分たちで木材に墨付けしてノコやノミを使って刻んでいく技術を学ぶことができていた。

当時の親方や先輩大工が墨付けして木材を加工し組み上げていく姿を見て憧れネットがない時代であったので県の図書館で技術本を探したりや本屋さんに取り寄せてもらい勉強したことを思い出す。


大工の弟子には高価な本だった
小屋組
大工の指矩(さしがね)技術とピタゴラスの定理が同じだったことに当時感動した
学校では勉強しなかったが規矩術(きくじゅつ)の勉強は頭がおかしくなるまで勉強した

全ては一日でも早く親方に認められ自分にも墨付けを任せてもらえるようになるためである。初めての墨付け現場を任せてもらえたのはそこから十年後の話ですが棟が上がり棟梁としてせんぐ撒きをした時は感動し涙したのを覚えてます。(今でも辛い事がある時などはたまにその家を見にいって自分に頑張れって言ってます)

さて話は戻り黒木邸、初めて黒木さん(施主)と会った日を思い出す。初めはとても大人しい印象、僕も人見知りなので会話は中々弾まない。しかしあっという間に僕は黒木氏に惹かれる。当初、紹介者からはお風呂やキッチンのリフォームと腐食した柱などの交換と聞いていたのでそのノリで黒木さんに要望を聞いてみた。

屋根の断熱材や一部解体された土壁

すると「大西さん見て感じている通りこの家は老朽化も進み古くて寒い、しかしおじいちゃんが残してくれたこの家を改修して大切に残していきたい」というのである。
よく見るとバールや屋根に中途半端であるが断熱材がはめ込められている。
自分でやれることをやろうと行動していたのだ。

僕は情熱を持って生きている人間が大好きである。それからおじいちゃんが残してくれた杉山を一緒に登ったり古民家カフェに何軒もまわって一緒に研究したり、昔この家に住んでいた親戚のモノクロ写真を見て感動したりと黒木氏との関係を深めていった。そこから設計図を書いてや予算を算出するまで役一年ほどかかりましたがとても重要な一年であったことは間違いありません。

黒木氏(先ほど写真と名前の掲載の許可はいただきました)
僕ら大工と施主の黒木氏

M図建築工房という会社は構造(耐震)にとことん、こだわります。
M図建築工房という会社は温熱環境(断熱)にとことん、こだわります。
M図建築工房という会社は意匠設計(デザイン)にとことん、こだわります。

しかし僕はその家に住む家族(人)のストーリー(歴史)に僕ら大工や建築士が(人生の一瞬一年〜二年)入ってその家族の幸せを情熱を持って寄り添い、一緒にこだわって考えることもとても大切な時間だと考えています。
もちろん施主や工務店の相性もあります。でも不思議なことにいい意味でM図のお客様は、物を大切にする人であったりマニアックな人であったりと本当に価値観の近い人たちが集まってくるようになりました。何よりも家づくりを一緒に楽しみたい人達が集まってきます。面白いものですね。


上棟
屋根の修復作業

僕はまた黒木さんが爺さんになり20年〜30年たってM図に家づくりを頼んでよかった〜!と言ってもらえることを想像していつも仕事していました。だからこそ日々勉強してお客様の期待に応えるための技術を磨かねばなりません。

ほんの一部の人間でしょうが努力がダサいとかめんどいという風潮が今の日本にあります。でも僕は同じ車のディラーでもそのとことんその売る車のことを勉強しその車の事好きな営業さんから買います。
回るお寿司屋さんでもそうです。同じネタでも包丁を常に手入れしそのネタとなる魚の特性を熟知した職人さんのお寿司を食べたいです。
そもそも情熱を持って仕事をしている人には努力という概念など無いのかもしれませんね。好きでやってるだけで。

家もそうです僕が施主ならば常にデザインや構造の勉強をしている建築士に設計をお願いしたいし、大工も技術を磨き建築学んで大切に家づくりをしてくれる腕の良い大工にお願いしたいはずです。そして一緒にワクワクしながら家づくりをしたいです。

正直私は漢字も英語もからっきしでありますし今の所勉強しようとも思っていません。
しかし建築は面白い。そこには一見するとむずかし法令や構造計算、温熱計算なども地味ではありますが大切な家づくりの血液的要素。もしかしたら自分の脳を無理やり楽しいぞと洗脳しているのかもしれませんが。若い設計士さんとの勉強会も楽しいですが最近は絶滅しそうな昭和の大工さんたちとも勉強するようにしてます。

100年は持ってくれるはずの日本瓦
苦労した屋根の仕舞い
昔の家は桁高さが低いでもバランスが良くて屋根も美しい
太鼓はり
本州から黒木さんが取り寄せためちゃ重い玄関建具

一つの仕事を長くつづけていけている事だけでも今とても感謝しています。勿論、挑戦には大変はいつも付き物です。一生修行の思いで会社も自分も成長できたら幸せな人生になるかなと期待もしています。

「里山ハレとケプロジェクト」難関さってまた難関、今踏ん張り所です。会社の人たちも一生懸命にフォローしてくれています。必ず完成させて恩返しします。

M図の家はどちらかといえば洋風の家が多いですが、少しづつ和の良さを表現できたらとも考えています(たぶん僕だけですけど)
黒木邸、間違いなく今のM図建築工房のDNAに刷り込まれているこれからも初心を忘れずに情熱と信念を持って仕事に取り組んでいきたい。和風に興味がある方は大西指名でお願いします。*半分冗談、半分以上は本気です

古い建物は地域にとっての「宝物」だと僕は考えています。その大切に継がれた家は長い歳月により育まれた文化が込められています。
そうした文化を大切にする姿勢というのは、先人たちへの敬意があってのことであります。そのような思いを次の世代に伝わっていく事にもなります。
そして文化は自分たちが住む地域への愛着や誇りにもつながっていきます。

言うなれば「里山ハレとケプロジェクト」を計画するきっかけもこの辺りからきているのかと思われます。

この頃は現場が楽しくてよく残業してました

古民家改修のチャンス頂いた黒木さんにもこの建物を残してくれたおじいちゃんにも心より感謝いたします。
これからもまたマニアック話に付き合ってください。

M図建築工房 大西正実

完成間近の記念写真。


左官屋さん達と仕上げ終盤の写真
出会いから完成まで約2年、鶴と亀の鬼瓦も保存しましたね